破天荒のありか

 ヘラクレス・ファクトリーでは月に2度ほどの頻度で教師に当直が回ってくる。実のところ、バッファローマンはそれを楽しみにしていて、その日も何か生徒がしでかしていないかとむしろ胸をわくわくさせながら夜の見回りを開始。


 時刻は深夜1時。自室にいない生徒がいれば、それだけで規則違反である。
 制服の上にケープを羽織り、ひんやりとした床に固い足音を響かせながら、順番に校内を巡回していく。職員室。指導室。準備室。教室。食堂。トレーニング室。特殊トレーニング室。リラクゼーション室──の方から、なにやら人の気配がする。
 懐中電灯のあかりをそっと手で被い、入り口から慎重に様子をうかがう。
 奥まった位置に置かれたテレビの前に生徒が2人。小声で何か言い合いをしている。片方の語気が鋭いが、相手はどこかおっとりと返す。
 遠目のシルエットで1人はスカーフェイスとわかる。もう1人はおそらく、万太郎。
 スカーフェイスが万太郎の手から何かを取り上げて、ビデオデッキに入れようとする。横からなにやら万太郎が口出しをし、スカーフェイスはそれになにやら言い返す。
(…なるほど)
 状況は一応把握した。自分も混ざりたいところだが、そういうわけにもいかないか。バッファローマンは懐中電灯の光を解放し、2人に向ける。はっと振り向く2人。
「げっ」
「わっ、バッファローマン先生」
 慌ててビデオを庇う2人。バッファローマンはとぼけて、
「なんだ、2人とも。こんなところで…」
「なんでもねーよ!」
 なんでもなくはないだろ…。
「い、いや、スカーフェイスがトイレに1人で行くのが怖いっていうから、仕方なく付き合って」
「て…てめ〜っ」
 気色ばんだスカーフェイスの背後でガチャンとなにかが落ちて音を立てる。かわいそうなくらいに慌ててそれを拾うスカーフェイス
 …気の毒になってきたんだが。
「なんだな…。トイレならさっさと済ませて部屋に戻れよ、2人とも」
「ちがっ。……」
「はい、バッファローマン先生。おやすみなさい」
 蹴ったな、今。
「おう」
 体の正面をあくまでこちらにむけたままの不自然極まりない移動で2人はそそくさと退散していった。ちらりとテレビを確認すると、ビデオデッキの電源は入ったまま。中身は入っていない。
「ふむ。ビデオが見られるのは──あとは、格闘室あたりか」
 呟いて、バッファローマンは見回りを再開する。もと来た道を戻るかたちで。

 次の日。さっそく授業で2人と顔を合わせると、万太郎は全くけろりとしている一方、スカーフェイスはぷいと顔を背けて目を合わせようとしない。やっぱり悪いことをしたなあ、とバッファローマンは気の毒に思いつつもそれを面白がっていたことは否めない。
 しかしその日以降、しばらくスカーフェイスのぎこちない態度は続くのだった。授業じたいは以前に比べればずいぶんまともに受けるようになっているから、それも面白がるだけでバッファローマンはそれ以上気にしなかった。
 突然、スカーフェイスから試合を申し込まれるまでは。

 深夜の格闘室、第1リング。夜らしい挨拶もなければ、試合開始のゴングなどない。
 スカーフェイスはリングにあがるなり、すぐさまにロープの反動を利用してこちらに飛びかかってくる。鋭い浴びせ蹴りを冷静に見極めて避けると、直ぐに体勢を変えて流れるような回し蹴りが後頭部を狙ってくる。前方に転がって避け、改めて相手に向き直ると不敵な笑みが返ってくる。バッファローマンも同じ笑みを浮かべている。
「いいぜ。もっと本気でやってみな」
 こちらの言葉にスカーフェイスは一瞬嬉しそうに目を光らせてから、再び飛びかかってくる。
 中央で組み合い、互いの力を確かめあってからは小さな攻防が続く。こちらが力をかけようとすれば絶妙にその勢いをそらし、あるいは利用して技を返される。どうにか最小限のダメージで抑えながら、隙があればこちらも仕掛けるがこれも決まりきらない。技を受けると向こうはすぐに立ち上がり、嬉しそうにまたこちらに仕掛けてくる。
(まるでガキだな)
 バッファローマン自身もまたそれを楽しみながら、冷静に計算する。このままでは体力が尽きてジリ貧なのは分かり切っている。
 であれば。体勢を低くし、左足で地面をかく準備動作。
「……!」
 向こうがまるで子供の様に満面の笑みを浮かべるのを見て、内心で苦笑をしながら。
「ハリケーン・ミキサー!」
 雄叫びをあげ、突進。スカーフェイスはこれを…正面から受け止める。当然、次の瞬間には高く頭上に跳ね上げられている。それでも笑っているのはたいしたものだ。
 2回、3回。跳ね上げて回転を加えられたスカーフェイスが頭からリングに落ちてくる。それで終われば話は早いが、それほど簡単な相手ではない。スワローテールをマットに刺して威力を逃がすと、立ち上がって。
「きかねぇなー!」
(…嬉しそうにしやがって!)
 応えるように掴みかかろうとするバッファローマンの体を素早く捕らえて、スカーフェイスが大きく飛び上がる。両足を両手で、首を逞しい両腿で固定される。スカーフェイスのフィニッシュ・ホールド、アルティメット・スカー・バスター。ここまでは完全に極まっている。
「返して見ろよ、先生!」
 落下が始まる。
「いいんだな?」
 これを素直に受けてやるほど、バッファローマンは優しくはない。
 こちらの口調に、スカーフェイスは怪訝な顔をちらりと浮かべる。バッファローマンはここで──昔とまるで変わらない、悪魔のような笑顔になる。
「そらァ!」
 ドリル・アホール・ホルン。ロングホーンが回転して首をフックしている腿を容赦なく抉る。相手が怯んだ隙をつき首を自由にする。
「しまっ…」
 スカーフェイスはこちらのする事を察したらしいが、その次の瞬間は超人パワーのぶつかり合い。あっという間に6が9に返される。
 お返しのように両足を掴み、リベンジ・バスターの体勢。
 さらに。バッファローマンが気合いを込めると、その体が不思議な光を放つ。
「なにっ?!」
「悪く思うなよ!」
 心からそう言って、バッファローマンはありったけの火事場のクソ力を込めたリベンジバスターをマットに叩きつけた。





「……」
 ぼんやりと天井が見えるのを理解する。失神していたのはほんの数分くらいだろうか。
 身体中の痛みをむしろ気持ちよく感じながら首を巡らせると、マットに大の字になったバッファローマンがこちらを面白がるように見つめている。
 自分もあちらと全く同じ格好で、大の字になっているらしい。なんだか嬉しくて、くすくすと笑いがこぼれる。
「ずりーなぁ。最後の」
「全力でやれと言ったのはそっちだろう」
「でも、ずりーよ」
「悪魔ってのは、勝つためには手段をえり好みせんのさ」
「悪魔超人みたいなこといってら…っ」
 痛みに顔をしかめながら、どうにか体を起こしてバッファローマンを見返す。
「…ほら、起きろよ」
「起きられんのよ」
「ジジイかよ」
「認めたくはないがな」
 ニヤニヤと笑うバッファローマンは、それでもお前に勝ったんだぞとからかうように目を細める。
 …やれやれ。スカーフェイスから珍しく嘆息が漏れる。
「やっぱりあんた、格好良いよ」
「…あぁ?」
「し、仕方ねーだろ。負けたのはこっちなんだからよ」
「ム…」
 何かを無理やり飲み込むような相づちにさらに嘆息をこぼして、スカーフェイスは続ける。
「そもそも。俺がd.M.p.に入って悪行超人になろうとしたのは、あんたらに憧れたからなんだぜ。でも、話には聞いてても映像はねーだろ。この学校でセンコーやってるあんたがそんな悪魔超人のスターなのかよ、って思えなくてさ」
「そいつは悪かったな」
「うっせえ。勝っておいて謝るんじゃねえよ」
「それもそうだ」
「俺がガキだったんだよ。でもこの間、過去に行って…向こうでもまぁ、ガキみたいなことやっちまった。それでまぁ…入院先で、あんたの試合中継を見たよ。2000万パワーズ
「ん〜…」
 バッファローマンは複雑な顔である。
 あまり記憶には無いらしいが、彼にとっては負け試合でもある。だがその内容は素晴らしいものだった。
「…で。この間のあれ…なんだけどさ。万太郎のやつ、向こうで親父の試合の記録映像、ちゃっかりダビングしてきててさ。その中に、あんたとの試合とか悪魔将軍との試合なんかもあるっていうから」
 なんだ、とバッファローマンは気の抜けた声をあげてから、おかしそうに笑う。
「まったく…万太郎のやつ」
「あいつにはかなわねーよ、ほんと」
 つられて、スカーフェイスも笑う。
「で?見たのか」
「当たり前だろ」
「そうか。あれが万太郎の親父。キン肉スグル。あれが、キン肉マンさ」
 晴れ晴れとした顔のバッファローマンは、こちらの表情に気づいて怪訝な顔をする。
「お前…」
「いや、いい試合だったよ。万太郎の親父もすごいと──マジで。本当にそう思ったよ。でも、俺はどっちの試合もやっぱり格好良いって思ったんだよ」
「あ?」
 つい目的語が抜けてしまった会話からもしっかり内容を汲み取ったバッファローマンが、目を丸くしてこちらを見返してくる。ヤケクソの心持ちで頷くと、バッファローマンはなんとも言えない顔になって天井を見上げた。
「そいつは、光栄だね」
 スカーフェイスも真似て天井を見上げる。天井にはずらりと照明器具がぶら下がっているだけだ。そのごくごく絞られた暗い照明に照らされているのはスカーフェイス自身と彼が憧れた伝説の人、だけ。
「…俺も、なれるかな。あんたみたいな正義超人に」
「バ」
 バカかお前とかそんなことを言うつもりだったらしい口が、何かに気づいたように一度閉じる。
「…そういや俺も同じようなこと、あいつに聞いたっけ」
 そして、右手の指だけを横着に曲げて合図をするから、素直にスカーフェイスは顔を寄せる。
 すると、その胸に固い拳がドスンと打ち付けられた。びっくりして目を白黒させるスカーフェイスに、バッファローマンはニヤリと笑う。
「なれるよ、お前なら」
「……あ」
「なれよ」
 慌てて頷く。
「なる」
「よし」
 頷いて、バッファローマンは胸を叩いた拳を開く。スカーフェイスはそれをしっかりと握り返した。
「…そのまま起こしてくれ」
「は?」
 ジジイかよ──と言いかけて、こちらを真摯に見上げてくるバッファローマンの眼差しに、一度言葉を切ってから。

「………………ジジイ」

 結局。
 ため息と共に零すと、憧れの人は可笑しそうに声を上げて笑うのだった。