破天荒のありか 2

 あの日以降、彼が宿直の時、度々顔を覗きに行くようになった。


 バッファローマンはまた来たのかという顔をわざわざやるが、すっかり出がらしになった日本茶や、(ごく稀に)酒を1杯だけ振る舞ってくれる。
 何かを話したり、話さなかったり。良くわからない時間を過ごすようになった自分とつきあいの良い教師に首をかしげつつ、その日もつい、スカーフェイスは宿直室をのぞきに行く。
 ──誰もいない。
「……」
 しばらく入り口に突っ立っていたが、そんなところに突っ立ってどうした、などとぶっきらぼうな声がかけられるでも無い。会えなかったからどうということもないし、会ったからといってなにがあるわけでもないけれど。それなのに、会えないとなると妙に──物足りなさがもやもやと胸の中にわだかまる。
(…寂しい、のかな)
 ふう、と息をひとつついて、スカーフェイスは校舎の外に出る。わざわざ親切に外灯などついていない校舎の敷地の内外は真っ暗で、月の無いこの星では、今は星明かりだけが頼りだ。一面の星空にくっきりと流れる天の川を見上げ、この世界が自分だけの物になったような気持ちでぶらぶらとあてもなく歩く。
 歩き始めて、しばらく。誰かがいるわずかな気配を感じて、スカーフェイスは足を止める。
 向かおうとしていた先にはベンチがひとつ、そこに誰かが腰を下ろしている。離れていても、星明かりの下でも、その2本の角を見間違えるのは難しい。
 ふわりと微かなアルコールの香りが鼻先をくすぐって、スカーフェイスは嘆息。すると、むこうもこちらに気がついたようだ。
「よう」
「…おう」
「座るか?」
「……」
 この2人で使うにはやや狭いが、座れないことはない。スカーフェイスが腰を下ろすとベンチは嫌な音をたてたが、それ以上の問題はなさそうだ。
 バッファローマンの手元を覗くと、珍しくも可愛らしくお猪口でやっている。スカーフェイスの視線を催促と思ったのか、バッファローマンは徳利からちょろりと中身を注いで、それをこちらに差し出してきた。中身はそれでお仕舞いのようだ。
「…あんがと」
 ──まさか、自分の分を取っておいてくれたわけではないだろうけど。
 バッファローマンは軽く肩をすくめて、ベンチの背にもたれる。わざわざその視線を追わなくても、視界には地球のそれより輝きの強い星空が広がっている。無意識にため息をついたのを、バッファローマンは聞きとがめたらしい。
「どうした?」
「別に」
 星がきれいだったから、なんて言えるわけが無い。
「…あんたこそ何してんだ。こんなところで、さ」
「日本じゃそろそろ、花見の季節だ」
 花見。日本にいた時に、万太郎達に連れて行ってもらったのを思い出す。満開のソメイヨシノのトンネル。それを楽しみに集まった人、人、人。シートを敷き宴会を始めているグループもたくさんいた。
 今、スカーフェイスの頭上には淡いピンク色の花霞ではなく満天の星が広がっている。
「花見がしたいのか?」
 日本に戻りたいのだろうか──そう尋ねる代わりに、そんな風に訊く。
「ちょっと、昔のことをな。思い出してたのさ」
 そう、とおざなりに返すと、なんだかすねているような口調になってしまった。
 そんなスカーフェイスを、バッファローマンは不思議そうにのぞき込んでくる。暗闇の中、金色の瞳の奥で瞳孔が微かな星明かりを反射させるのが見えた──
「…まあ、俺の昔の話なんか、面白くもないか」
 はっとして、スカーフェイスは星空に目線を戻しながら。
「こっちから訊いて良いのかどうか、わかんねーんだよ」
「そんなの。訊きたきゃ訊けばいい」
 それもそうだ。それにしてもこの男が相手だと調子が狂う。
「じゃ、聞きたい」
 バッファローマンはそっぽをむいたままのスカーフェイスを面白がるように笑った。
「そうか──」
 この夜によく馴染む深い声で、バッファローマンは自ら袂を分かった仲間達と桜の下で過ごした、わずかな、優しく美しい時間のことを語る。可笑しくもなんともない、ただその時間が大切だったというそれだけの話だった。
 彼のような男が今まで誰かにそんな話をすることがあったのかどうか、スカーフェイスには見当も付かないけれど、
「なあ、…悪魔超人に戻りたいとか、思ったりするのか?」
 ──スカーフェイスは、そう訊かずにいられなかった。
 バッファローマンは、軽く首をかしげる
「いや…。ただ、時々思い出すだけだ」
 さばさばとした口調。
 スカーフェイスが自身の過去を振り返ってそれをいうのならなんとも思わないけれど、この男にとってそれは今でも大切なものに違いないのに。
「……」
「そんな顔になるなよ」
「うっせぇ」
 おかしそうに言われて、慌てて顔を背ける。…どんな顔になってたっていうんだよ。
「たまには誰かに思い出を聞いてもらうっていうのは、案外悪くないもんだな」
「あー…し、知るかよ。そういう年なんじゃねえの」
 スカーフェイスの精一杯の憎まれ口に、バッファローマンはそうかもな、と楽しそうに笑って、
「なあ、スカーフェイス。お前さん、案外優しいんだな」
 なんて、ぬけぬけと言う。
「…はあ?」
「安心しな。俺はなあ、今は今で、気に入ってるんだ」
 後ろ頭を大きな手のひらで軽く掴まれて、ついに減らず口を叩くだけの気力も尽きてしまった。
「あ、…そ」
 少しは。
 ──少しは、この時間のことも、気に入っているのだろうか。
 訊きたかったら訊けば良いのに、どうにもそれができる気がしない。
 やはりなにかが胸の中にわだかまったまま、スカーフェイスは星空を見上げる。いつかこの男と、今日のように桜の下を歩くことがあるだろうか──と、らしくもないことを胸中で独りごちながら。