テーマはエジソン 2

 頑固者同士の押し問答になるかと思いきや、オーディーンの静かな仲裁でエジソンはあっさりと折れた。言葉少なに言いくるめる様はなかなかに感動的ですらあった。それはオーディーンだから出来ることで、自分にはできそうもない技術ではある。

(私の場合、他に言い様という物をしらないからな)
 スパイヘリを前に、1人苦笑するアーサー。
 スパイヘリは今日の戦闘で傷だらけだ。先日取り替えたばかりのプロペラ部分も、墜落の衝撃であらぬ方向にまがりたくっている。そのときの衝撃を思えば、搭乗していたイザムが無事だったのは全くの幸い…たしかに、そのときはそう思ったのだが。こうして眺めてみると、あちこち傷だらけのスパイヘリの様子に、さすがに心が痛む。
(この前も、その前の時も…扱いが荒いのは仕方がないとはいえ、ずいぶん乱暴に扱っているからな)
 地球人、特に日本人は自家用車をかなり丁重に取り扱っている。耕平の父親などは、ちょっと傷が付いただけでひどく落ち込んでいたようだった。
「今まで、すまなかったな」
 処女飛行であっさり墜落の憂き目を見ることとなった、哀れな偵察機に向かってアーサーはねぎらいの言葉を呟いた。そして端末を開く。スパイヘリの構造図を呼び出すと、エジソンの覚え書きのようなものがあちこちに書き加えてある。
 端末とスパイヘリのメインシステムとを接続し、機体の状態を確認すると、機体の状態は惨憺たるものだった。

 まずは、自分に出来ることから。アーサーはプロペラを取り外しにかかった。
 そのとき。
「誰だい?」
「あれ?アーサー…」
 格納庫に入ってきたのは、ウォルトだった。ちらりと室内を見回し、アーサーに視線を戻す。
「何で…こんなところにいるんだ?」
 問いかけてくるその様子が可笑しくて、アーサーの表情も自然とゆるむ。
エジソンが休んでいる間に、少しなりとも整備を手伝っておこうと思って」
「ああ…、そう…。そんじゃあ、俺にも何かやらせてくれよ」
 その申し出を、アーサーは快く受けることにした。

<間>

 ひととおり、メンテナンスを終えて。
「なあ、腹が減らないか?アーサー」
「…そう言われてみれば」
 というわけで、2人は台所へ向かうことになった。夜は更け、静かな寝息がやたらとはっきりアーサー達の耳に届く。それより大きな音を立てないよう、慎重に移動する。ドアを開けるのもすでに手慣れた小運動である。
 もちろん、廊下も真っ暗。遙か向こう、階段のある辺りに、フットライトが申し訳ない程度にぼんやりと薄明かりを投げかけている。まるで、全く別の建物を探索しているような錯覚。でも、なにか懐かしい──

 2人は無言のまま、やがて台所にたどり着いた。
「確か、このあたりに…」
 ウォルトは棚に飛び乗り、奥へと姿を消したかと思えば、ビスケットを抱えて出てきた。その手際に、アーサーは感心するよりむしろ呆れてしまう。
「ウォルト。何でそこにビスケットがあるのを知っているんだ?」
「へへ。だてに耕平んちをうろついってるわけじゃないんだぜ」
 と、「おいしくて強くなる」ビスケットサンドを2枚に分ける。手を出したものかとためらうアーサーに、気楽な調子でウォルト。
「気にするなよ。パパさんだってたまにやってるんだぜ」
「…ふうん。そうか、なら問題はなさそうだな」

 ビスケットはあっと言う間に2人の異星人に消費された。クリームとのとっくみあいで、2人の身体はすっかり食べかすだらけになってしまった。自分たちの有様をしげしげと眺めてから、アーサーはリーダーとして決断を下した。
「これは、身体を洗わないとダメだな」
 流しに降り立った2人の耳が、かすかな物音を捕らえる。
 人の気配──
「だれ…」
 注意をよびかけようと口を開いた次の瞬間、台所が明るくなる。深夜の台所に突然進入してきた何者かが、まっすぐ流しへと歩いてくるのが気配で分かる。
(地球人か──)
 とっさに「人形化」し、様子をうかがう2人。
「あらあ…?」
 どこか眠たそうな、気の抜けるような感動詞のつぶやきと共に、流し場ににゅっと巨大な首が覗く。ママさんである。…どうやら目が醒めて、水でも飲みに寝室から降りてきたらしい。

 さて、流し場に立ちつくす2体の食べかすだらけの「人形」は、誰がどう考えてもあからさまに怪しい、と言わざるを得まい。かといって2人に何が出来るでもなく、こうなった以上ただただ成り行きを見守るしかない。
(耕平、裕太、すまない…!)
 この後、彼らの協力者たちの身に降りかかる災難をある程度予想し、アーサーは胸の内で絶望的に呟いた。
(──しかし、戦士たる者が空腹をそのままにしておくことはァ〜)
 たじたじと言い訳の文句のみが無意味に浮かぶアーサー、ウォルトも似たようなものだ。のどを潤したママさんは、おもむろに「アーサー」に手を伸ばした。
(アーサー──!!)
 ウォルトの目の前で、「つまみ上げる」としか表現しようのない状態で持ち上げられたアーサーは、眉間にしわを寄せたママさんにながめつすがめつされ、生きた心地もしない。
「まったく…あの子たちったら、こんなに汚しちゃって…!」
 自分たちのために何の罪もない兄弟に濡れ衣を着せられようとしている…!しかし、今の彼にはただただ心の中で謝罪の言葉を繰り返すことしかできない。
(すまない、耕平。すまない、裕太──私は、私は、無力だ…!)

 と。
 ママさんは、食器用のスポンジを掴みあげ、それでアーサーをこすり始めた。その手つきも、──表情も、まるで我が子を洗ってやっているかのようである。何がどうなっているのか。あまりピンと来ぬままにアーサーは流し場に戻され、ウォルトもまた同様に、丹念に磨かれて流し場に戻される。
(これは──)
(さあ…)
 なんとなく、そんなやりとりを無言で交わすその間にも、2人は水で体中の泡を洗い流され、清潔なふきんで丹念に水気をふき取ってもらった。
 そして、すっかりきれいになった2人を手に、ママさんは台所を後にする。


 静かに、そっと子供達の部屋にすべりこんだママさんは、梯子に足をかけ、ベッドをのぞき込んだ。その表情は──ミクロマン達からはよく見えない。
 ママさんは、2人を枕元にそっと横たえ、しげしげと見つめた。
「それにしても、良くできたお人形ねえ」
 ひょいとウォルトを手に取り、足や腕を曲げたり伸ばしたりしはじめる。ウォルトに「気をつけ」をさせながら、
「まるで本当の人間みたいねえ」
 と何気ないママさんの一言。異星人達の心の内は、…推して知るべし。
 「気を付け」をさせたウォルトを、再びアーサーの隣に戻しながら、2人ににっこり微笑みかけるママさん。それは、2人が地球人から初めて向けられた表情であった。
「明日も、うちの子達と遊んであげてくださいね」
 子供達を起こさぬよう、ミクロマン達の耳に届くか届かないかという声。そして、部屋を、来たときのように音もなく出ていく──。
 2人は、しばらくの間、そのまま動こうとしなかった。
 なんとなく、動けなかった…。
「ウォルト、今夜はここで休むことにしようか」
「…そうだな」

 窓から僅かに射し込む街灯の光、子供達の静かな寝息…そのようなもので静かに満たされた子供部屋をそっと包むものの心地よさに、2人はたちまち睡魔の虜となった。



 明朝の2人の運命は──推して知るべし。
 死して屍、拾う者無し(合掌)。