カウントダウン

 ヒタリ、ヒタリと暗い廊下を素足で忍んで進む足音。夜も更けて、屋内からは物音一つ聞こえない。
 鳴子の思いはただ一つ、食料のみ。

(くー、こんな夜中に目が覚めちゃしょーもないわーだいたい寝る前にゴチャゴチャ考え事しとったのがあかんなーそりゃそーやスポーツマンは難しいこと考えたらあかんねんシャーッと走ってもりもり食ったらウンコして寝たらええねん)
 ちらり、と2年生の顔が脳裏に浮かぶ。パーマセンパイのエールがわりのパンチ、を、思い出すとまた腹が意識される。
(ダメやダメや!とにかくなんか食ってガーッと寝たら面倒くさいことなんかあっちゅうまに忘れるってもんや!メシ、メシや!)
 無言のまま一人でばたばた手足を動かしながらどうにか考えをまとめると、鳴子は再び食堂へ向けて始動する。兄弟のいる環境からか、こういった行動には慣れているのだろう。その歩みは思いの外素早く、密やかだ。
 その歩みが、視界に食堂の入り口を捕らえたとたんに、ピタリと止まった。
(なんや・・・どういうことや)
 食堂内のわずかな明かりがほんの少しだけ漏れ出て、廊下を照らしているのだ。
(誰か、冷蔵庫を開けとる・・・?)
 意識して耳をそば立てると、わずかに物音もする。
 先客らしい。
 ・・・・・・ものすごくいやな予感がした。
 食堂に潜り込む。食事のスペースには誰もいない。奥のカウンターの向こう、冷蔵庫のあるあたりで、漏れた明かりがちらちらと動いている。
 そちらに向かおうとした瞬間、バタン、と冷蔵庫が閉められた。見つかったか、と動きを止める鳴子。しかし、すぐに袋を開ける音。それから、なにか食料を食べ始めた気配。
(そやな。開けっ放しは良くないな)
 変なところに納得しながら、さらに身を低くして、ゆっくりゆっくりとカウンターを回り込む。
 そうやってやっと台所をのぞき込むと、やはりひときわ大きな人物が冷蔵庫の前で手当たり次第に中身をやっつけていた。
「ちょ、オッサン食いすぎちゃうか!」
 座り込んだ田所の周囲にちらかった空の容器が目に入るやいなや、とっさに鳴子はつっこんでしまった。
 田所ははじめの一瞬、気の毒になるくらい驚いたようだったが、すぐに駆け寄ってきて鳴子の口をふさいだ。
「しー、しー!!てめ、見つかったらどうすんだ!」
「ていうか見つからなくても明日の朝にはすぐバレるんちゃいますかね・・・」
「・・・いや、去年はバレなかったからたぶん大丈夫だ」
「ホンマですか」
 去年にどういういきさつがあったのかはわからないが、いくら何でもそんなわけはないだろう。おそらくはバレたんじゃないかと鳴子は決めつけた。
(なんにせよ、これ、ワイが疑われなくてすむ可能性大なんちゃう?)
 空腹の頭脳が珍しくナイス判断をひらめいた。
「ま、なんでもええですわ。ワイにもなんか分けてくれますか」
「はあ?・・・まあ、仕方ねえか。コレ」
 ポイ、と放られたのは何か菓子パン──豆腐ドーナツ。アニメのイラスト入りの。
「ちょ、オッサン?アンタ小野田君の食いモンにまで手ェだしてんのかい!仕舞にはシメるで!?」
「ん?そうなのか?・・・しかし、よく見ろ」
「何や?」
 田所がドーナツを裏返して、ある箇所を指し示す。
「こいつは昨日、賞味期限が終わってる。つまりもう、誰のものでもない。自由だ」
「・・・自由」
 とても魅力的な響きに聞こえる。この豆腐ドーナツがもはや誰のものでも無いというのなら、まさにこれから鳴子章吉の腹に収まるのもまた、何かの巡り合わせなのかもしれなかった。
「・・・・・・。小野田君、明日一杯ペダルこがなあかんのに、腹に悪いモン気づかず食ったらあかんし・・・まあ、これも友情ってヤツやな、たぶん」
「そーそー」
 というわけで、鳴子は田所の運命共同体に片足をつっこんだ。


 さらになにか腹に入れる者を物色しようと、鳴子が冷蔵庫に手を伸ばそうとした時。
「伏せろ!」
 突然、田所が大きな体を地面に伏せた。鳴子がついていけずぽかんとしていると、「早く伏せて、身を隠せ」のゼスチャーを賢明に送ってくる。
「なに・・・」
「しー、しー・・・・」
 珍しく必死の形相。仕方なくボリュームを下げてもう一度田所に尋ねかけようとしたその時、外の廊下を誰かが歩いてくる足音がかすかに聞こえてきた。
(なんちゅう地獄耳や)
 さっきは鳴子が近づいてきたのに、ぜんぜん気がつかなかった癖に。田所が妙に真顔になって縮こまっているので、さすがに鳴子は不審に思った。
「オッサン、なんやねん?」
「アイツだ・・・間違いない!早く!身を隠せ!」
(そもそもアンタがぜんぜん隠れられて無いっちゅうの)
 とりあえず、言われるままに、積み上げられたケースの裏あたりに隠れる。
 足音は、ゆっくり、確実に食堂に向かってきて、そして入り口のあたりでピタリと止まった。
(・・・お仲間ちゃうん?)
 不自然な間がしばらく。辛抱強く様子をうかがっていると、やがて。
「・・・誰かいるのか」
(部長さんやーーーー!!)
 それは、金城の声だった。どういうわけか、誰かが食堂に忍んでいることを確信しているような口調。静かで、まったく感情を感じさせないけれど、このシチュエーションでどう言うわけか脇の下に力が入ってしまうような何かを、感じるような。
 田所を見ると、こちらを見る余裕もないようで、床を見つめて、今にも震え出しそうな様子だ。
「・・・田所」
(ひっ・・・・・・)
 呼ばれたわけでもないのに、鳴子が身を堅くする。全く普段通りの声色なのに、この、本能的な恐怖は何だ。
「隠れてないで、出てこい。・・・今なら怒らんぞ」
(嘘や!絶対怒るやんっつーか絶対もう怒ってるやんか!)
 あのサングラス越しの強烈な眼光が、直接自分自身に突き刺さっているのではないかという錯覚すら覚える。鳴子は知らないが、金城のふたつ名「石道の蛇」を知っていたとすれば、それはまさしく蛇の眼差しだと思ったに違いない。獲物を追いつめた蛇の眼差しそのものだと。
「今から10数える・・・それまでに出てこい」
 10秒数えたら殺すと言っているようにしか聞こえなかった。
「10・・・9・・・8・・・」
(どっ・・・ど、どえらいこっちゃ・・・どないしたらええねん!)
 金城の唱える数字が減っていくにつれて鳴子の頭の中も焦りでどんどん真っ白になっていく。
「5・・・4・・・」
 田所は歯を食いしばって、青い顔で腹を押さえながら震えている。普段だったら心配するところだが、残念ながら今の鳴子にはそんな余裕はなかった。
「・・・2・・・・・・・」
(あかん・・・も、もう・・・限界・・・)
「1・・・」
(・・・ダメーーーーー!)
 思わず鳴子が頭を抱え込んだ拍子に、すぐ脇に積みあがっていたケースが大きな音を立てて崩れる。
 と同時に、田所がそれ以上の大音声で奇声を上げて、台所から飛び出していた。
「ヒィイイイーーーッ止めてくれぇっ、頼む!ごめんなさい!ごめんなさい・・・お、おまえにカウントダウンされると、なんかもう、胃、胃が・・・キリキリしてきて・・・死ぬかも」
 飛び出したところで力つき、床に倒れ込んで悶えている田所を、金城は冷たく無表情に見下ろしている。
「田所。なんだ、いたのか」
 今、初めて気づいたみたいな言い方をする。
「明日が最終日なのに随分と余裕があるな。結構なことだ」
「・・・す、すみません」
 鳴子が聞いたこともないような、本当に蚊の鳴くような声。
「だが・・・。お前には言っておいたはずだったな」
「・・・・・はい」
 金城の一言で、キン、と場の空気が一気に冷え込む音が聞こえたような気がした。
(オッサン・・・アカンやん、もう・・・つーかこんなことしてバレへんとか言ってる時点で終わってるにきまっとるやん)
 ・・・ふと、それは自分にも当てはまるのだということに、鳴子が思い至った──ことに、気がついたように。
「田所。他にも誰かいるのか?」
 鳴子の頭の中が真っ白になりかけたところに。
「・・・・・・鳴子が・・・」
(・・・・・・!!!)
 今までのどんなレースでもかいたこともないような大量の汗が、一瞬で吹き出して、すぐに悪寒とともに引っ込んだ。──もう、鳴子章吉の人生は終わったかもしれない。
 と、田所の声が続く。
「鳴子が、来たが、帰した」
(オッサン・・・・!!)
 そもそも田所に引きずり込まれた部分もあるのだが、それをすっかり忘れて、自分をかばう田所に、鳴子は感動していた。
 しばらく、不気味な沈黙が続いたが、やがて金城が
「そうか」
 と、たった一言。それから、軽いため息。それで、なにか決着が着いたというような印象。
「とりあえず明日走り終えることだけ考えておく事だ。立て、帰るぞ」
「・・・ああ」
 ゆっくり、2人の足音が遠ざかっていく。やがて、再び元の静寂が合宿所に戻っていく。後には真っ白になりつつもどうにか生き延びた鳴子が1人残された。


 ふと冷蔵庫の作動音がやけにやかましくきこえるような気がして、鳴子が我に返った。
 なんと、冷蔵庫の前にはもう1人の3年生レギュラーの巻島がいた。
「え・・・ええええ!??」
 口をパクパクさせている鳴子おかまいなしに、巻島は冷蔵庫の中身を確認している。やがて、冷蔵庫の扉を閉めると、困ったようにこめかみを指で何度かかいた。
「あーあ・・・田所っち、派手に食ったッショ・・・。明日食うもんもキビシーっショ、コレ」
 食べ散らかしっぱなしの足下のゴミをひとつつまみ上げて、暗い中しげしげと眺め回す。
「小野田の食料も被害甚大っショ」
「そ、それは・・・ワイが食いました」
 崩れたケースの山をかき分けながら、鳴子がはいだしてくる。巻島は、それをなんだかつまらなさそうに眺めている。
「なに、やってんの」
「いや、ワイも盗み食いを・・・」
 巻島がふいっと彼に背を向けたので、鳴子は言葉の続きが止まってしまった。
「アンタはここにいなかったんだから、とっとと寝てないとおかしいショ」
 ぼそり、とそれだけ言って、巻島は足下のゴミを片づけ始める。もうこの食堂には誰もいないといわんばかりの態度で。
「・・・・・・失礼します!」
「聞こえないショ」
 鳴子は巻島の背中に一礼して、食堂からかけだして行った。
 きちんとゴミを仕分けして片づけてから、やれやれ、と巻島は一人で肩をすくめる。
「・・・今夜は、ちゃんと眠らないヤツが多すぎて金城も大変・・・ショ」
 食堂の時計を見ると、なんとかもう一休みできそうだ。あくびを一つだけ置き去りに巻島も食堂を後にすると、やっと食堂は本来の静寂を取り戻した。


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 うわー結局なんか書いちゃいましたね。
 もう文体がどうしようもないなーというか。ね。読みにくくてごめんなさいね。もしか読んでくだすったひとがおられれば。
 「プリンス・スタンダード」というマンガが元ネタです。
 今のところ3年生が大好きですねぇー。
 「俺たちフィギュアスケーター」みたいな特訓する2年生+田所っちとか誰か書いてくれないかしらん。