ミクロポップは笑わない

それは、地球を去ったミクロマン達と再会して、
しばらくしてからのことだった。

そのころ、
春と形容するには
まだ肌寒いような陽気が続いていたと思う。

久しぶりに研究所の外に出た僕は、
みんなと再会した土手で、
彼(と呼んでいいのだろうか?)に出会った。


──ミクロポップに。



 その日、久磁裕太は解析していた戦闘用データの入力作業に一段落が付いたので、久しぶりに屋外に出た。1週間以上研究室にこもりきりになっていたため、久しぶりにまともに洗面台の鏡に映った自分はたいそう見苦しかった。
 さっぱりした顎をさすりながら、裕太は今、あの土手に仰向けになってぼんやりと雲を眺めていた。休日のためか、土手にはいつもより人がいた。ボール遊びに興じている子供達の声に無心に耳を傾ける。
 そうしてかなりの時間が過ぎた頃、やはりじっとしていたせいか、少々体が冷えてきた。体を起こすと、青一色だった視界に子供達が飛び込んでくる。無心にボールを追いかけ回す彼らを見ていて、どういうわけか、自分が久しく大好きな温泉に浸かっていないことを思い出した。
(たまには「プロフェッサーK」を休業して、温泉に行くのもいいかな)
 自分がまだ子供だったときのことを思い出しながらそんなことを考えたその時。土手にまばらに芽生えてきた雑草達のあいだに、それらとは異質な「緑色のもの」が見えたような気がした。
 あれは──
 気が付くと裕太は土手を駆け下りていた。


□ちょっとまえのおはなし□

 戦闘のデータを取るため、裕太は戦闘のあった採石場でミクロ化し、アクロ兵の残骸などをサンプルとして収集していた。
 ミクロマン達の戦闘能力の高さは、裕太が子供であった頃から知っていたが、15年という彼らにとってはほんのわずかな時間のうちに、彼らの戦闘能力はさらに上昇していた。
 アクロ兵の装甲の破片を拾い上げて眺めてみる。地球上にほとんど存在しない金属で生成されたその破片は、陽光を受けて暗灰色に鈍く輝く。
 小さいとはいえ、アクロ兵の戦闘能力は低いわけではない。裕太がもとの大きさに戻ったからといって素手でこの装甲に傷一つつけることはできないだろう。冗談でなく、「像が踏んでも壊れない」強度なのだ。
 そのアクロ兵達を無造作とも思える戦い方で次々と蹴散らすミクロマン達の戦闘能力を考えると、ヒヤリとしたものを背筋にかんじないでもない。だが、その戦闘能力を有するのが、裕太のよく知っている彼らであることが、アクロイヤーとの新たな戦いにおいて彼ら地球人を大きく勇気づけているのだった。

 裕太はアクロイヤーが使用しようとして未使用に終わった(変な言い回し)、「地球破壊爆弾ドラえもん)」の前に立っていた。
 黒い、1メートルにも満たない、ラグビーボールを細長くしたような形状の金属の固まり。これが作動していれば、このサイズで嘘のようだが冗談でなく、地球とおまけにその衛星である月も、あとかたもなく消滅してしまっただろう。
 そのスイッチが押される寸前、見事スイッチの送信部分を破壊することに成功し、すんでの所で地球は守られたのだった。
「あぶないところだったな」
 と、これは独り言ではなく、助手に向けての発言。裕太は、地球破壊爆弾の黒いなめらかな表面に触れようと、手を伸ばした。金属面に移り混む採石場の風景。裕太自身。
 そして──
「ん?」
 石の積まれてできた小さな丘の上に、なにか細長い、緑色の影のようなものが見えた。
(人影?)
 慌てて振り向いてその影のあるであろう方向に目をやるが、何もなかった。爆弾のほうに視線を戻しても、ただ自分の顔が映り込むばかりだった。
「どうなさいました、プロフェッサーK」
「いや…なんでもないさ」
 言いながらも、「緑色」ということに、妙に引っかかるものを感じる裕太だった。

 地球破壊爆弾を解体してみると、奇妙なことに、起爆スイッチからの信号を受信する部分が機能しないことが判明した。コードが1本切れていたのだ。このことに、裕太は首を何度もひねった。アクロイヤーの工作機械は何度も検分しているが、このようなずさんなことはなかった。
 今回、たまたま何かの弾みでこのコードが切れてしまっただけなのだろうか?しかし、爆発を止めるのにもっとも効率の良い部分のコードがたまたま切れている、などということがそうそうあるだろうか?他の研究員達はたいして気にしていなかったようだが、裕太はそれがどうしても気になった。
 そのことにかかりっきりになったせいで、裕太は1週間以上も研究所に閉じこもる羽目になったのだった。苦労の甲斐なく、コードが切れていた原因を突き止めることはできなかった。
 ただ、受信部分の故障に、あの時爆弾に映り込んだ人影が何か関わっているのではないか。理由はないが、裕太はそんな気がして仕方なかった。
 人影。

 緑色の──

□もどる□

エジソン!」
 土手を駆け下りながら、緑色の小さな人影に呼びかける。その小さな人影に気が付くことができたのは、裕太が日頃から地球人とだいぶサイズが異なるミクロマン達と過ごしているから以外の何物でもなかったろう。
 あのとき見えた人影が「細長い」と感じたのは、その緑色の人物がどうやら筒上の妙な帽子をかぶり、またマントで全身をくるんでいるからであったことに裕太は気づいた。
 大きさからして地球人でないことは間違いないだろうが、エジソンだと思ったのは安易な思いつき以外の何物でもない。
 ミクロマンエジソンは新たな兵器の開発のため未だ地球に到着していない。
 ──はずだが、めったにユーモアというものを欠かすことのなかった人物であるから、じつはこっそり到着していたのかもしれないじゃないか。などと、思いつきに理由をつけてみる。
 …だが、いくらエジソンがユーモアを欠かさないとはいえ、地球にやってきて自分たちのところに連絡をしてこないばかりか、こんなところで妙な格好をしている理由にはならない。
(まさか、アクロイヤー…)
 裕太がとっさに立ち止まったそのとき、裕太の呼びかけに小さな人物が振り向いた。
 こちらを見上げているが、目深に帽子をかぶっているので顔がよく見えない。その帽子やマントには、いたるところに鋲のようなものがつけてあって、鈍く陽光を反射している。人間だったら妙な服装としか言いようがない。ミクロマン達にはどうなのだろうか、そのあたりは裕太にもよくわからない。彼らはいつもマグネスーツを着ているからだ。
 そのマグネスーツも、彼のくるまったマントのお陰で着ているのかどうか判断が付かない。
 裕太が逡巡していると、謎の人物の方から声をかけてきた。
「君は?」
 男のような、女のような。どちらともとれる、中性的な声だった。エジソンではないのだろうか?裕太は頭の中が混乱してくるのを自覚したが、小さな緑色の人物に敵意がなさそうであると判断し、その場に腰を下ろした。
「僕は裕太だよ。久磁裕太」
 裕太がエジソンと最後に会ったのはやはり15年も前だ。地球人である裕太は見違えるほど成長したし、小さかった背も伸びた。ピンとこなかったということも十分ありうる。裕太は自分の名前をゆっくり、よく聞こえるように繰り返した。
 小さな人物は、小首を傾げるような仕草をした。視線が多少低くなったこともあり、先ほどよりは表情が伺える。裕太は、その人物があの「眼鏡」をしていないことに気づいた。
 人違いだろうか?相手の答えを待たずに、がっかりしてしまう裕太だったが。
「そうか。君は15年前にミクロマンと共に戦った地球の子供の1人であるな」
「やっぱり、エジソンなのかい!?」
 聞き覚えのある語尾に、思わず食いつかんばかりに顔を寄せる裕太。それは久しぶりに見せる、ミクロマンと接するときの、子供の頃の彼の癖だった。

 グラウンドの脇の、人気のないところで裕太はミクロ化した。小さくなると、背はちょうど同じくらいになった。
 こうして同じサイズになってみると、その人物の顔には確かに見覚えがあった。
 裕太は1度だけ、眼鏡を外したエジソンの顔を見たことがあった。そのときはほかのことに気を取られていたためにさほど印象には残らなかったのだが、それがエジソンの素顔を見た最初で最後であったことに、だいぶたってから気が付いた。
 そのときのおぼろげな記憶と照らし合わせてみると、どうも目の前の人物はエジソンであるように思える──それが確信にいたらない理由の一つは、その人物の声色が、裕太の記憶しているエジソンのものと異なるように思えてならないこと。そしてもう一つが、彼の浮かべている表情であった。
 裕太の知っているミクロマンエジソンは表情豊かで、たいていにこやかにしていたが、今裕太の前にいるエジソンにそっくりな人物は「むっつり」としか言いようのない無表情で、じっと立ちつくしたままである。
 ひょっとしたら15年の間に、エジソンに何か不幸があったのだろうか?そんな心配もしたが、どうやら違うようだ。エジソンと同じ顔をしたその人物は、
「私はエジソンではない」
 と言った。
「私は…ミクロポップ。正義の味方である」
 そう言ってミクロポップなる人物は肩をすくめた。
「ミクロ…ポップ?ミクロマンじゃないのかい?」
「この肉体はミクロマンエジソンと呼ばれているが、私は…どうだろうな」
 裕太はひどく困惑した。
「どうって…。とにかく、その体はエジソンなんだね?」
「そうである」
 裕太は多少ほっとした。
「ミクロポップって言ったかな。君は正義の味方なの?」
「と言うよりは、私は、世界を…宇宙を滅ぼそうとするものの天敵なのである」
 エジソンであるはずの人物は、妙な自己紹介をした。妙な自己紹介には裕太も多少慣れている。その一因は目の前にいる人物のはずだったが…。
 裕太は、過去の教訓を生かし、目の前で起きている奇妙な事象を素直に受け入れることにした。今、裕太が会話をしているのは、エジソンではなくその体を借りたミクロポップという存在で、ミクロポップは宇宙を滅ぼそうとするものの敵なのだ。
 そうやって目の前の存在を受け入れてしまうと、今度は好奇心が頭をもたげる。
「と、なると…。君は、アンゴルモアのように、思念体のようなものなのかな?」
「そうではないな。私は宇宙が滅びに瀕したときにだけ泡のようにどこからともなく生じて、宇宙の危機が去ったら泡のように消える。世界にしてみれば微少な泡でしかない、ただそれだけの存在であるよ」
 答えを聞いてもよくわからない。たぶん裕太はとても怪訝な表情をしているのだろうが、ミクロポップはそんなことを気にもとめていない様子だ。別に質問されるのをいやがる様子もないので裕太は質問を続けた。
「天敵って?」
「天敵は天敵。そのままの意味である」
 世界の敵の、天敵。どうにもピンとこない。ふつう天敵と言えば、自然界における食物連鎖の課程で生じる、例えばアブラムシにおけるテントウムシのような存在のことだ。絶対の捕食者。じゃんけんで言えば、グーに対するパー。
「…意味は分かるんだけど、どうもピンとこないや。正義の味方ってことか」
 そういって裕太は人なつこく笑った。
「だから、最初にそう言ったのである」
 そう言ってミクロポップは、なんとも曰くありげで、顔の右と左で非対称的な表情をした。呆れるというでもなく、笑うでもなく。どういう意味の表情であるのかは図りかねたが、裕太は、自分がいま会話をしている相手がエジソンでないということをいまさらながら実感した。

「起爆装置のコードを切断したのは、君だね?」
 裕太の問いにミクロポップは肩をすくめた。
「あそこで地球破壊爆弾が作動していたら、君たちは地球ごと吹き飛んでいたのである。そうなれば、アクロイヤーに対する力の均衡が大きく傾くことになっただろう」
「助かったよ。ありがとう」
「礼を言うことはない。これが私の存在する意味だ」
「それだったら、僕だってそうさ。僕だって、ミクロマンの仲間としてアクロイヤーと戦っているんだからね」
 ミクロポップはまた、あの非対称的な、奇妙な表情を見せた。自分は何か困らせるようなことを言ったのだろうか。ミクロポップの表情が気になる裕太だったが、それと同時に思いついたことがあった。
「そうだ。お礼に、これから温泉に行かないかい?」
「温泉、であるか?」
「うん。温泉というのは、地下水が地下のマグマで暖められたもので、いろいろな成分を含んでいるからとても体にいいんだ。
──なにより、とっても気持ちいいよ」
「そうか。だが私は行けないな」
「何で?」
 裕太の問いに、ミクロポップは軽く首を傾げた。そういうちょっとした仕草が、エジソンに比べてなんとなくかわいらしい感じさえする。そういえば、一人称が「私」だから、ひょっとすると男性ではないのかもしれない。
「私は世界を破滅から救うためだけに存在しているのである。人格ではなく、何かの装置だと思えばいい。必要があったときに装置が作動し、処理が終われば停止する。──いわば、私は磁場のようなものだ。場に干渉する何かが存在して、初めて意味を持つ。私が君と温泉に行くということは、私の存在理由をかんがみるに、何の意味も持ち合わせないよ」
 そう言われても、裕太は今、ミクロポップという存在と会話をしているのである。相手の言い分は、裕太にしてみれば、今更何を言い出すのかという感じだった。
 そんな裕太に妙案がひらめく。
「イチゴのショートケーキ…」
 裕太がわざとらしく視線を逸らしながらそうつぶやくと、ミクロポップが反応を示したのが気配で分かった。
「来る?温泉」
 裕太が訊ねると、ミクロポップは観念したようにため息をついた。
「裕太…どうやら、そういうところは相変わらずのようだね」
「それが僕だからね」
 そういって裕太は会心の笑みを浮かべた。その表情は15年前の彼と全く変わらなかった。

 地球防衛隊保養施設のうちの一つが静岡県にある。3年前に作られたばかりなので、まだきれいだ。設備も充実しており、とくに天然の温泉を利用した風呂が防衛隊員達の中でも大変な好評を博している。
 何種類もの浴槽が並ぶのを見回しながら屋外へのドアを開けると、露天風呂があった。
 夜空にうかぶ上弦の月を写し込んだ湯船を、ぼんやり浮かび上がらせる灯籠。風呂の横に作られた竹林。その奥に隣の女湯とをしきる竹垣(むろん、向こうはのぞけない)。その竹垣には、プライバシーのため浴槽に覆い被さるような屋根がついているが、空を見上げる邪魔になるほどではない。
 無類の温泉好きである裕太はいたく感動した。まさしく、風呂好きによる風呂好きのための露天風呂だった。これを見せれば、税金を無駄遣いしているとやかましい一部の市民団体だって納得するだろう。
 木の桶に温泉水を半ばまですくい入れて湯船に浮かべ、裕太は子供の頃から愛用しているミクロッチで小さくなり、その中に入った。桶から顔を出して、湯船の縁の岩の上にたたずむミクロポップに声をかける。
「君もおいでよ、気持ちいいんだから!」
 ミクロポップは欧米人がよくやるように片方の眉を上げて見せ、観念したように桶に潜り込んだ。マントのままで。裕太は呆気にとられてしまう。
「脱がないの、それ?」
「このマントはマグネスーツが私にあわせて変形したものなのである。脱がなくても支障はない」
 と、マントの裾をつまんで見せた。
 裕太は興味深げにマントを摘んだり眺めたりしている。さわった感触は布のようだが、湯からあげるとさっと水が切れる。それが面白いらしく、裕太は何度もマントの裾を湯船につけたり、出したりした。
 ミクロポップはしばらく何も言わず、その様子を眺めていた。…が、やがて、感心しているのか、はたまた呆れているのか判然としない口調で、
「飽きないのかい、君は」
 と聞いてきた。
「うん、面白いよ。それに、君だって…」
 と裕太は言いかけ、気づいて訂正する。
「ああ、君じゃなかったね。エジソンもさ、…それに、アーサーも。よくステープラーに乗って遊んでいたんだよ。それで、よく飽きないなあ、って思ったことがあってね」
「…そのことなら私も知っているな」
「ええ!?知ってるって?」
 つい、身を乗り出してしまう裕太。
エジソンの記憶は私も共有しているのである。彼は私のことも知らないし、私が活動している時のことを覚えてもいないが」
「君がエジソンに戻ったとき、エジソンは混乱したりしないのかい?記憶がないんだろう?」
「それはない。日常の中で習慣的な惰性でとった行動について後から思い出そうとしても、よく思い出せないだろう?そういうふうに彼の中では処理される。エジソンは賢いから、そのぶんそのあたりの記憶の補完も、より整合性を保たれているようである」
 エジソンと同じ顔でエジソンのことを他人事のように語られるのは半日一緒に過ごしても奇妙な感じがして、裕太は困惑してしまう。
 それにしても、と、裕太は以前聞いた話を思い出した。それは一風変わったミステリー小説で、題材は密室殺人であった。読んでいる裕太にはそのトリックが見当も付かなかったのだが、種明かしの内容に意表をつかれた。
 なくなったと思われていた死体は、ずっとそこにあったのだ。ただ、家族には見えなかったのである。
 見えないところにあったというわけではない。被害者の死を確認することによって家族はそれぞれ失うものがあり、それを失いたくないがために視界に入った死体を認識することを脳が拒否した、というのである。
 それと似たような現象がエジソンの脳でも起こっているのかもしれない。とすると記憶の処理は地球人と似たような方法なのだろうか…。
「もう入れ替わるのに慣れているのかい?」
「いや、私がでてくるのは、これで2度目だ。…ちなみに、1度目のときも、やはり地球だったのである」
「ええっ!?」
 まったく、驚き疲れるヒマもない。

「裕太、君と私は初対面ではない。初めて私が現れたのは、ジャイアンアクロイヤーが破壊されて、アンゴルモアがよりしろを失ったときだ。アンゴルモアはアーサーの肉体を乗っ取ろうとした。もし、アーサーの肉体がアンゴルモアに乗り移られたとしたら、この世界は滅んでいただろう」
 ミクロポップは肩をすくめ、続けた。
「…だが、ミクロマン・アーサーはアンゴルモアにうち勝った。私は『浮かんだ』ものの、君たちをかばうくらいしかすることがなかったな。私が浮かんでも、そうでなくても結果は変わらなかったということである」
 ミクロポップの「告白」に、裕太は開いた口が塞がらなくなってしまった。
 眼鏡が壊れたエジソン。裕太が初めて見たエジソンの素顔は、ミクロポップのものであり…。
 そして裕太は、エジソンの姿をしたミクロポップに、かつて命を救われていたのである。
「…ねえ。エジソンが1人でベガに行ったのも、君が現れたからなのかい?」
「いや、それはエジソンが自分なりに考えたうえでだよ。私とはまた違う形で、ミクロマンとして、エジソンは世界を救うために自分に出来ることを探して全力をつくしている。いつでもね」
「うん…そうだね。僕の知ってるエジソンはそういう人だったよ」
 自分たちと接するときは先生のような態度で、地球の様々な文化に子供のように目を輝かせていたりもしたが、それでもエジソンはなによりもまず戦いに身を置く戦士だったのを、裕太は良く知っている。
「僕も、自分に出来ることは何かなっていろいろ考えて…、それで、エジソンやプロフェッサーKみたいに、ミクロマン達をサポートできたらいいな、と思ったんだ」
「……。エジソンみたいに、ね」
「ん?…うん」
 エジソンでないとわかっていても、なんだか照れてしまい、裕太は月を見上げた。あの月が満ちるのに、あと1週間はかかるだろう。それでも、銀色の光にその周囲の星々が隠されてしまっているようだ。
「…でもね、最近、正直なところ、迷ってるよ。今の仕事を続けるかどうか…さ」
「それはどうしてだい?地球は今まさに危機に瀕しているのである」
「うん。でも、今は研究所に地球人を含めて沢山の仲間がいる。僕がいなくなっても…」

「久磁裕太」

 ミクロポップに言葉を遮られ、裕太が視線を月からおろした先では──ミクロポップが、裕太に無機質でいて──なにか背筋をぞっとさせるような、鋭い視線があった。
「君は、わかっているはずである。どうしてそんなことを考えるようになったのか」
「……」
 裕太には答えられなかった。
「君にはたしかに、彼女に自分の気持ちを伝える勇気はなかったかもしれない。しかし、君は彼女たちのこれからを見守っていくことが出来る強さをもっているはずである。自分にあるはずのものを否定して、己を弱いと思いこむのは、君には似合わないよ」
「まいったなあ…」
 裕太はやっと、それだけ言った。
 ミクロポップは続ける。
「どんなに強い人間でも、いつでも強くいられるわけじゃない。休むことは必要である。…君も、私が相手だからそんなことを言ってしまったのだろうがね」
 どうやら、ミクロポップは何もかもお見通しのようである。
 裕太の兄、耕平とその幼なじみである水沢麻美は、15年前、裕太と共にミクロマンの仲間としてアクロイヤーと戦った。その頃から、そして裕太の物心ついたときから、2人は裕太の立ち入れない絆を持っていたように思う。
 それは年を追うごとに強くなっていき、裕太はそれを見守るしかなかった。2人の側に長くいた分、その絆の強さを誰よりも知っていたからだ。
 耕平はロボットマンのパイロットとして、麻美は防衛隊の教官として、裕太と同じように地球を守る職に就いている。自分たちで地球を守りたい、という強い信念が3人にはあった。
 15年前、彼らは、何度も自分たちが子供であること、無力であることを嘆いたものだった。そんな自分たちを耕平が引っ張ってくれたお陰で、ミクロマン達と自分が一緒にいる意味を見つけられたような気がする。
 だから、──そんな耕平だからこそ。
 もしも自分がもうちょっと早く生まれていたら、と思ったこともあった。
 それでも。
エジソンなら、きっとこう言ったのである。…『伝えないでおくこともまた、強さなのである』」
 エジソンと同じ顔で、エジソンと同じ声で。ミクロポップはそう言った。
 裕太はくすりと笑った。
「そうかもしれないね…」
 エジソンなら、そう言うかもしれない。
 そういう強さもあるのかもしれない。
「裕太、君の周りには、いろんな『強さ』を持った人間が沢山いる。君の兄もそうだ。水沢麻美も、ミクロマン達も。彼らの持っている強さ、そして君の持っている強さは、それぞれ比べられる物ではないし、『強さ』という概念そのものは、君たちが戦っていくうえで重要ではないだろう」
「重要じゃない?」
「君は『弱い』から戦いを止めるという。では、君以外の者達は『強い』から戦っているのであるか?強くない者は戦ってはいけないというのかい?」
 ミクロポップの口調はやや意地の悪いものになった。これ以上いじめられたくなかったので、裕太は両手を上げて「降参」のポーズを取った。
「わかった、わかったよ。…ミクロポップ、君の言うとおりさ。僕は、地球を、宇宙をアクロイヤーから守りたい、そう思ったから戦っているんだ。忘れていたわけじゃないけど…忘れるところだったよ」
 ありがとう、と言うと、ミクロポップはちょっと眉をしかめた。そして、先ほどまで裕太がしていたように月を見上げた。
 そういうことではないのだろうが──
 ひょっとしたら、照れくさかったのかもしれない。

エジソンは、どうしてベガに行ったと思う?」
「え?」
 裕太はミクロポップの言葉を待った。
「彼もやはり、無力を感じたからである。戦士として、技術者として、絶対を望むことが愚かなことはわかっていても、それでも彼は自分が無力だと思わずにはいられなかったようである」
 結果としてアーサーは生きていたけれど。あの時、最終的にアーサーを死地に送らざるを得なかったミクロマン達の心痛は計り知れないものだったろう。
「そうだね、みんなも、戦ってるんだよね…」
 今更ながら自分がここしばらく悩んでいたことが、ばかばかしくなってしまった。そんな自分の単純さに苦い笑いがこみ上げてくる。
 ミクロポップは続ける。
ミクロマン達は、この15年、それぞれ自分の『弱さ』と戦った。そんな彼らを勇気づけたのは、君ら、地球の子供達だった」
「え…?」
 ミクロポップの意外な言葉に裕太が驚きの声を上げると、ミクロポップは顔を裕太の方に戻して、あの奇妙な表情を作った。
「…前にも、このあたりに来たことがあったね?」
「ああ。…アクロモンスターと戦ったときのことだね」
 アクロイヤー生物兵器、アクロモンスターによって地球の地熱が上昇し、地球環境は深刻な被害を受けた。富士五湖などは湖水のほとんどが蒸発してしまったため、生態系に壊滅的な被害が出たほどで、似たような報告は国外からも沢山受けている。
「あの時、君は動けないアーサーをかばってアクロモンスターの前に立ちはだかった。そんな君に負けないように…、エジソンは自分と戦う道を選んだのである。エジソンという人物は、もともと己の弱さと戦うすべを十分心得ている存在だった。その彼をして、君たちは彼に『かなわない』と思わせしめたのである。君に卑下されてしまったら、エジソンの立場はなくなってしまうよ」
「……」
エジソンには、君たちのその『強さ』こそが、ある意味驚異だったのである」
「僕たちの、強さ…」
 驚くべきことだった。自分にとって、永遠の目標である人たちが、自分たちを恐れているというのだ。
「ミクロポップ、君は今、世界を救ったんだよ」
 そう言って裕太は、ふわりと微笑んだ。
「…アクロイヤーと戦うのに欠かすことの出来ないエジソンという存在を、君は救ったんだからね」
 ミクロポップは方眉をつり上げ、しかめるような──
 ひょっとしたら、ミクロポップは笑っているのかもしれない。不器用に。
「それが、私の役目なのである」

 そう、僕こそが世界の敵だったのだ。



「裕太あ?」
 聞き慣れた声と、ガラス戸を開ける音。桶の中から浴場の入り口の方を覗くと、兄の耕平が入ってきたところだった。
 突然のことで裕太の頭の中が真っ白になったその間隙に、兄のものとは異なる声が滑り込んできた。
「ここが温泉というものなのかい?」
(アーサー…!)
 聞き間違うはずもない。ミクロマンの地球方面のリーダー、アーサーの声だった。そして。
「湯気でなんにもみえねーぞ?」
「この湯船につかるのかい?」
「それにしても熱いな…」
「兄さん!みんな!」
 慌てて裕太は声をあげた。湯気の向こうの会話がとぎれた。
「ここだよ…桶の中」
 小さいまま、桶のなかから手を振ると、耕平も気付いたらしく、こちらに歩いてくる。胸の前に抱えた洗面器には、今の裕太と同じようにミクロマン達が入っているようだ。その洗面器を湯船に浮かべる。
 並んでうかべられた洗面器のなかのミクロマン達と笑顔だけで挨拶を交わし、裕太はかがんだ姿勢の耕平を見上げる。
「どうしたの?みんなしてさ」
「裕太、おまえ、何で小さくなってるんだ?」
 裕太の質問を置き去りに、耕平が問い返してくる。
 その問いにはっとなって後ろを振り向くと──先ほどまでそこにいたはずの、緑色の人物は姿を消していた。まるで、そこにははじめから何もいなかったかのように。
「──このほうが、湯船が広くて気持ちいいだろ?」
 不思議なことに、裕太はミクロポップがいなくなってしまっていたことに驚きを感じなかった。兄に嘘を付くつもりなどまったくないまま、奇妙な感覚の中で、そんな風に返事をする。
 耕平はそんな弟に、
「変なやつだなあ」
 とだけ言って、笑った。
 広い湯船をめいっぱい使ってミクロマン達は初めての温泉を楽しんでいる。一番元気なのはもちろんウォルトだが、残りの3人も負けてはいない。
「子供の時は、結局温泉には入れなかったからな」
 先ほどまで先客がいたところに腰掛けて、耕平がそんな宇宙人達の様子を楽しげに眺めている。
 と、こちらを振り返って、
「──ん、どうかした?」
 答えを返さない裕太をいぶかったのだろう。
「兄さん、今日は何か言いたそうな顔してるように見えるけど?」
 にやつきそうになるのを堪えて精一杯真面目な表情を作る。耕平はとたんにばつの悪そうな顔になる。居心地悪そうに視線をさまよわせながら、
「あの…さ。俺、麻美と今度結婚することになったよ」
 と、告げた。
 驚かなかったと言えば嘘になる。
 でも、驚くよりは、何だか可笑しかった。
「ふうん?おめでとう」
 からかうように破顔した裕太に、耕平は唇をとがらせる。
「な…、なんだよ。やけにあっさりしてるじゃないか」
「そう?これでも驚いてるけど。…もっとかかるかと心配してたからね」
 耕平はむっ、と眉毛をひょうきんにつり上げて見せたが、すぐに毒気を抜かれたようにふにゃりと脱力した。
「もっと驚くと思ったんだけどなあ」
「だから、驚いてるって…」
 耕平は恨めしげな視線をこちらによこして…ふと何か思いついたような顔になり、こちらに顔を近づけてくる。
「じゃあ、これならどうだ?これはまだみんなにひみつなんだけど──」
 得意のいたずらを仕掛ける子供のような表情になり、裕太の耳に口を寄せる。
「──」
 その内容に驚いた訳ではなかったが──
 ただ、その言葉が裕太の胸に呼び起こした感情の激しさは、裕太にとって予想外のものだった。彼自身にもよくわからない何かの衝動が収まるのを待ち、耕平の顔を覗く。兄は、してやったという表情でこちらを眺めている。
「驚いたろ?」
「──ああ」
 裕太がうなずくと、耕平は初めてミクロマンと出会った頃に戻ったかのように、くしゃりと顔全体を使うような笑顔を浮かべた。
 気付けば裕太もそうやって笑っていた。
「いいか。これ、秘密なんだからな」
「ああ、誰にも言わないよ」
「ほんとか?」
「うん。約束する」
 言いながら、ここからいつの間にか立ち去っていた緑色の人物に向かって、胸の内だけでくりかえす。
(誰にも言わなくたっていいだろ?君と、エジソンの2人分の秘密を、僕と君だけが知ってるっていうのも、悪くないだろう?)
 どこかで、ミクロポップが肩をすくめているような気がする。その様子がありありと目に浮かぶ。
(いいじゃないか。だって…秘密にしておいたら、また君に会えるかも知れないだろ?今回は敵同士だったけど。僕は、今度は君の友達になりたいんだよ──)
「1週間か。けっこう長いかな?」
 裕太のつぶやきに、耕平はあきれた表情になる。
「なに言ってんだよ!あっという間だって。俺達正義の味方には1週間のんびり待ってられるほどのゆとりのある生活は送れねーんだからさ」
「…ああ、僕たちって正義の味方だったっけ」
「はあ?」
「冗談、冗談…」
「なにが冗談なんだか、まったく…」
 訳が分からず呆れる耕平の前で、裕太はついに堪えきれなくなって、爆笑した。



──僕達が正義の味方ならば。
 もう君とは仲間同士ということじゃないかい?



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ブギーポップは笑わない」パロディ…。