弱点

 大会の翌日、田所と巻島は何となく誘い合うようにして、地元の病院にやってきた。
 高校生2人だけで中にはいるのをちょっとためらってしまうような、仰々しい大きさ。
「検査終わったのかね…?」
「さーな、行ってみないとわかんねぇ」
 巻島の独り言に答える形で気持ちを決めて、正面から建物内に入る。案内を頼りに入院棟にたどり着いて、受付で金城の名前を告げると、看護婦は事務的な愛想良さで病室番号を告げる。彼女に礼を言ってからなんとなく顔を見合わせる2人になにを察したのか、彼女は気さくな笑顔になって付け足した。
「そういえば、さっきお母様がお見えになったばかりだから、まだ病室にいらっしゃるんじゃないかしら」
 少しだけその笑顔に緊張がほぐれたような気がした。軽く会釈をして、言われた階までエレベーターで上がる。
 エレベーターの扉が開くと、吹き抜けからの日差しで、空調のよく聞いた建物内の温度が少し高いようだった。階下に目をやると、吹き抜けの中はそうとう暑いだろうに、しつらえられたベンチで時間を過ごしているものが数人いるようだった。
「暑くないのかね」
「暑いに決まってるッショ」
 巻島が右手にダラリと持っている花束の花のいくつかも、暑さで花の首がフラフラしてしまっている。花の部分を下にして持つように言われたのに、心許なさからか、ついつい持ちかえてはラッピングのふちをいじってしまうことも原因だったが。
 時々、病室からテレビの音声が漏れ聞こえてくる以外は至って静かである。なんとはなしに名札を眺めながら歩いているが、どうやらこの階の病室は一人部屋ばかりになっているようだ。
「あ、ここッショ」
 行き過ぎそうになった田所を巻島が引き留める。
 2人ドアの前に並び、顔を見合わせる。お前が。いや、アンタが。意地でも言葉には出せないものの、無言で譲り合うことつかの間。
「…だから!」
 金城の声。珍しく苛立って語気が強い。初めて聞くような声だ。
(あの金城が…)
 自分が落車する原因となった男にすら淡々と己の信念だけを語って見せた男。自分のように感情のコントロールが全くできない(それはそれで仕方がないと思っているが)人間とは、違う生き物なんじゃないかとさえ思ったこともあった。その彼が人間らしい感情の起伏を露わにしているのに、田所は予想以上にうろたえた。
「入るっショ」
 巻島の言葉に、田所は軽く首を振ってから、短く頷く。
 コンコン。
「どうぞぉ」
 間延びした感じの女性の声が答えた。
「失礼します」
 引き戸をスライドさせると、横によけられた衝立の脇に小柄な中年の女性が一人。それから、ベッドに検査着のままの金城。少し、険しい表情をしている。無意識に彼の目線を避けて女性の方に目をやると、ニコリと屈託のない笑顔が返ってきて田所は戸惑った。
(あ、この人が金城の)
 気付いたのと同時に、向こうから口を開いた。
「初めまして、真護の母ですぅ。いつも息子がお世話になっております」
「その、こちらこそお世話になってます」
「今回は、その、すみませんでしたッショ」
 妙に愛想の良い金城の母に、戸惑う2人。
「真護くん、楽しそうなお友達じゃない。こんどおうちにも連れてきなさいよぉ。あんまりお友達のことはなしてくれないから、お母さん心配しちゃうじゃない」
「……」
「まぁ、きれいなお花まで!ありがとうね〜。さっそく生けさせていただくわね」
 すっかり圧倒されている巻島から花束を取り上げて、金城の母親はてきぱきと花瓶を準備しはじめた。ようやく何かから解放された気分で、田所が口を開く。
「…その、どうだったんだ?」
「検査は終わったが、結果がでるのは明日の午前中だそうだ。経過で判断する分には大したことはないと思って良いそうだ」
 いつも通りの落ち着いた口調、物腰。
(まぁ、きっと、コイツにとっても俺みたいな人間はとっつきにくいんだろうな…)
 いつも以上に距離を置かれているのをハッキリ感じられて、田所は少しだけ歯がゆく思った。自分の感情をガマンしない、それは別に悪いことだとは思わない田所だが、おとといの自分の感情にまかせての言葉──暴言と言っても良い、あれは言うべきではなかったと、腹の下の辺りに苦い痛みを感じずにはいられない。
「…そうか」
 巻島はチラっと田所の様子を心配げに覗き見て、結局
「まあ、とにかくゆっくり休むッショ」
 と、当たり障りのない言葉をかけた。
「ああ、そうさせてもらう」 
 いつも真っ直ぐな金城の目線が2人の足下に落ちたままで、こちらを見ようとしない。これ以上どんな言葉をかけて良いのかわからない。
「ほら〜、やっぱり綺麗ね、ちゃんとお友達にお礼言いなさいよ」
 金城の母親が、花瓶を置く場所を探しながら唐突に割って入ってきた。金城は苦いものをこらえるような表情を一瞬見せたようだった。
「…後で言っておくから」
「なに言ってんのよ、今言いなさいよ減るもんじゃなし。訳わかんない子ねえ。あ、そうだ。おふたりはここまでどうやって来たの?やっぱり自転車?」
「え、ええ…」
「あら〜、まあ!へえ〜、やっぱり自転車部のコってそうなのかしらねぇ。真護君も、どこに出かけるっていうんでも自転車で行きたがるから困っちゃうわ〜。お友達のふたりも、車道とかやっぱり走るんでしょ?気をつけなさいよ。真護君も、あれだけ気をつけなさいって言ったのにねぇ」
「だから。これはレース中の事故で…」
「だから、じゃないわよ。普段、あれだけ自転車は軽車両だから車と同じ扱いなんだーとか偉そうに言ってて自分が事故起こすんだから。まったく、お母さん情けないわよぉ」
「……」
「……」
(これは…)
(……ショ)
 はじめは戸惑っていた田所と巻島だったが、だんだんと親子のやりとりを聞きながらうつむきがちになっていった。
「そうだ、真護君。さっきの、この子達にあげちゃったら?良いわよね、そうしちゃうわよ?」
 片手で額を押さえながら、金城は小さく頷いたようだった。
「お友達のおふたり、良かったらこのケーキ食べて行ってくれないかしらぁ?この子、なんか難しいこと言って食べてくれないのよ〜。せっかく入院してるときくらい食べるかと思って買ってきたのに。ワガママなんだからぁ」
「…母さん」
「はいはい、邪魔ものは帰ります〜。その前にお友達にお茶くらい用意しないとね。ちょっと待っててね」
 母親が出て行ってから、金城はすっかり疲れきった様子で長いため息をついた。口元をずっとヒクヒクさせていた2人は、とうとうこらえきれずに爆笑した。
「だっはっはっは、き、金城、おま、おまえんちの母ちゃんサイコー!」
「田所っち、大声はマズイっショ、ハハ、ハ、ハ…」
 金城はくの字になって笑い続ける2人に苛立たしげに舌打ちして見せるが、まったく効果が無い。無言のまま母親のおいていった化粧箱を開くと、素朴ながらおいしそうなショートケーキが入っていた。
「ほら。残さず食って行けよ」
 笑いがようやく収まってきた2人は、パイプいすを引っ張ってきてベッドの脇にくっつけた。
「お、うまそうじゃん。本当におまえ食わないの?」
「ああ」
「ふーん、いただくッショ」
 さっそく素手でケーキをつかんでかじってみると、ちょうど良い具合に焼き上がったスポンジと少し硬めのクリームが良くあって、結構おいしい。
「なにこれ!うまいじゃん」
「金城、アンタ、甘いもの嫌いだっけ?」
「…いや、」
 何かを言いよどんだ様子。
「ただいま〜。こんなお茶しかなかったんだけど、若い子のお口にあうかしら。真護君、お年寄りみたいなおやつしか食べないんだもん。つまらなくてぇ」
 戻ってきた金城の母親が空気を粉砕した。先ほどまで多少は柔和な様子を見せていた金城の表情が一気に硬化する。
「それでOKスよ。いただきます」
 田所はペットボトルを受け取ると、口だけでふたを開けてしまった。その様子を見て、金城の母親は目を丸くした。
「わぁ〜、器用!なんか男の子っぽいわぁ!真護君もこういうことするの?」
「しないよ…」
 もはや金城の声は聞いたことがないくらい低い音程になっていた。
「あ、あの、金城のおばさん、その…金城、ちょっと困ってるみたいッショ」
「そう?全く、変に気むずかしくてお友達も困らせてるんじゃないの?ごめんなさいねぇ」
「いえいえ、そんなこと、ないスから…」
「じゃあ、お母さん、そろそろ失礼するわね。今度、百妙さんに寄ってきてあげるから、はやくおうちに帰ってらっしゃい。おふたりとも、ゆっくりしていってくださいねぇ」
 笑顔で2人と金城に手を振って、金城の母親は今度こそ退室していった。
 つかの間、病室内が無言になる。
「…なに、お前百妙好きなのか?」
 百妙はテレビや雑誌にも取り上げられる、県内ではそこそこ有名な和菓子屋だった。
「あそこの栗蒸し羊羹は結構イケルっショ」
「いや…、俺は豆餅が…」
 その単語を聴いて、巻島は戸惑った様子だ。
「は?豆餅ってどんなん?大福みたいなやつか?」
 田所はピンとこないようだ。
「素の餅に黒豆みたいなのが混ざっているモノだ」
 実際には赤エンドウ豆、なのだが、恐らくは説明するのが面倒くさかったのだろう。
「…え?」
 それは和菓子というのか?
 見れば、巻島もなんとも言えない表情になっている。先ほど、そういえば母親にもジジくさいとかそんなことを、確かに言われていたが…。
「まあ、うまい所のやつは、結構うまいんだがな」
 金城も、そういう反応には慣れているらしい。
「じゃ、お前、ケーキとかぜんぜん食わないの?これ旨いぞ」
 田所は2個目のケーキを箱からつかみだしてやっつけ始めている。そのいつもの食べっぷりに、金城は少々複雑な表情を見せ、
「うまいとは思うんだが」
 と、言葉を区切る。
「何だよ。言えよ」
「…………太るんだ」
 田所の手がピタリと止まった。巻島も同様だ。
「俺は、本当に太りやすいんだ…。自転車に乗れない今、そんなものを食べたらどうなるか、想像するのも、恐い…。普段のトレーニングだって、ドリンク類もギリギリまでカロリーを制限しながら摂取してやってる」
 予想外の告白に、見舞い客の2人は完全に思考が止まってしまっている。確かに金城は競技に対してストイックな男だとは知っているが…そんな部分にまで。どちらかと言えば、ピントのずれた冗談だとしか思えない。
「いやっ、でも、自転車競技やってて、あんなに運動してて…」
 金城の表情に何かを察して、巻島は口を閉じた。
 だめなんだ。本当にだめなんだ、この人は。
 しかも、おそらく、実際は確実に甘党だ。
「自転車は、消費カロリーも多いし基礎代謝も上がる。だが、どうしてもカロリー摂取の量も頻度も増える」
 金城の母親が面倒くさがる計算を経て、どう頑張っても豆餅が限界だったという結論が出ているということらしい。もはや、どうやって慰めたら良いのかという意味で田所たちはおろおろしている。
「そ、それは…すまなかったな、目の前で、その、食えないもの食うような真似して…」
「田所っちの場合はいつもッショ」
 巻島のツッコミに、確かにそうだな、と考えるともなしに考えて、ふと、田所はピンと来るものがあった。
 金城は、そんな田所に苦笑い気味に笑ってみせる。
「そうだな、お前らのことは正直うらやましいと思ってる」
 体型を気にせず食べまくり、それでいてパワースプリンターとしてのポテンシャルはとてつもない田所。食は普通だが、どちらかというと筋肉がついても体型に出ない巻島。彼らは金城のコンプレックスを嫌でも刺激する存在だった──
(…ってこと?)
 2年生でチームのエースを張るほどのこの男が、特に田所に対して、時折どこか距離を置くような態度を取るように感じていたのは、気のせいではなくて──
(…ってこと?)
 田所が巻島を見ると、なんとも戸惑いきったまぬけな表情で田所を見返してきた。たぶん、同じ顔をしているんだな、と田所は他人事のように理解した。
「そういうわけだから、そのケーキは取りあえず全部食べてくれ」
 コホン、と咳払いをしてみせる金城。彼のイメージとはだいぶかけ離れたこの告白は、彼にとってもかなり恥ずかしいものだったらしい。はっ、と2人は我に返った。
「じゃあ、遠慮なくいただくっショ…」
「すまんな」
「そう、いちいち謝らなくて良い」
 すこしトゲのある口調になった金城に、巻島はつい軽口が出てしまう。
「…でも、まあ、せっかくの入院中くらい、多少太ってみたらイイっショ?」
「お前なぁ…」
「正直、本当かどうか見てみたいしな」
 手に付いたクリームを無意識に一口なめてみせて、田所も同意する。金城は一瞬、2人を見比べるようにした。
 彼らの提案に、金城の心が一瞬揺れ動いたようだったが。しかし、たちまち、その眼差しはいつもの金城の鋭さを取り戻していた。
「…いや、その時間は無いさ」
 そうつぶやいた彼の見つめているものが何か、2人もすぐに理解する。自然、彼らの顔つきも、いままでのやりとりが嘘のように引き締まる。
「そうか、…ま、そうだよな」
「俺らは先に待ってるっショ」
「ああ、頼む」
 誰からともなく拳をつくり、軽く合わせて、3人は頷いた。



 後日。

 金城の快気祝いに、巻島が都内の老舗の豆餅をわざわざ用意してきた。古風な包み紙をほどくと、言われたまま想像したのとだいたい同じものがくるまれてあった。
「コレ、豆かんの豆…かな」
豆かん豆かんてなんだ?」
みつ豆の、豆ばっかりバージョンみたいな…」
「ハァ?それ、甘味扱いなわけ?」
「…まあ、それも、ちゃんとした豆で作ってある奴は結構うまいんだがな」
 ため息混じりにつぶやく金城の口調に、2人は申し訳なさそうに口をつぐむ。
「まあ、とにかく、俺たちからってことで。改めてよろしくな」
「よろしくっショ」
 照れくさそうに差し出された2人の手を、金城は力強く握り返す。
「では、遠慮なくいただこう」
 一切れつまみ上げ、一口かじる。どうということなく、もぐもぐと租借しているようだったが。
「……ああ、これはうまいな」
 しみじみと、噛みしめるようにつぶやいた金城がなんだか幸せそうに見えたので。田所と巻島も多少鼻白みながらも、なんだかちょっと幸せな気分になる。
(これは…)
(太り出すまで食わせてみたいっショ)
 インハイ後の新たな目的のために。
 この日、田所と巻島は金城に内緒で、勝手に誓い合うのだった。


★  ★  ★  ★  ★  ★



9巻の冒頭の回想エピソードでの3人の様子が、どうしてもモヤモヤして…。
まあ、あのあたりは誰でもアレコレ妄想したくなると思うんですが、
「キャプテン」丸井さん的な意味では田所さんをフォローしたくてしかたがありません。
ちゃんと翌年、2年生にすてきな言葉をかけてあげられる田所さん。
私が金城だったらあんなシーン横でニヤニヤしちゃいますけどね(笑)
冗談混じりでオレに言えよ!とか思いながら。
とはいえ、うじうじとああだこうだというやりとりは、
9巻回想シーン内で金城がしゃべり終わるあたりで、
もうあの3人には必要なくなってるんだなっていう顔になっているように思うので、
インハイ直後はまだ多少ぎこちないくらいの3人が書いてみたくて書いてみたんですが。
勝手にお母さんだしちゃったの、まずかったですかね。
イメージ壊したらごめんなさいです。
職場にいる趣味スポーツマンが試合のためによく減量をしてるんですが、
甘いものについて語り出すと止まらないのでネタにさせていただきました。
実際はもっとザ・スウィーツみたいな食べ物ばかりですけど。
ていうかつる瀬の豆餅が好きなのは私です(笑)。
まあ、フツーに豆大福にした方が満足感ありますけど、
あの豆、意外と侮れないんですよ…。
白妙さんに豆餅とか栗蒸し羊羹とか置いてあるのかは良く存じ上げません。
テキトーで申し訳ない。今度行ってみます。