これから
穏やかな天気ながら、上空は風が強いらしく、小さな雲がやや足早に流れていく。遠くに大きな雲の固まりが見えるが、今日中はこの青空は持つだろう。
流れていく雲を目線で追いかけながらそのような事を考えていたためか、その人物の接近にセシルが気づいた時には、もうその黒ずくめの人物の顔まで判別できるほどに彼がマイルド・スタア城に近づいていた。
「ちょっと、あなた!」
「?」
男はびっくりした様子で自分を指さした。
「そうです、あなたです!止まりなさい!」
「??」
「この城の警備隊長として、殺し屋の人をマイルド・スタア城に入れはしませんよ!お帰り下さい!」
勇ましく槍を振り回すセシルに、黒ずくめの男はぽかんと口を開けた。
「殺し屋…?わ私の事かぁ?」
「ホラホラ!帰って下さい!」
「何を言ってるんだ、私は殺し屋じゃない!」
突き出された槍を避けつつ、男は食い下がる。
「そんなこと言ったって騙されないんですからね!」
「おいおい、参ったな…他に誰か話の出来る者はいないのか?ティントの者と話をさせてくれ!」
「どうした、警備隊長」
騒ぎを聞きつけたらしい男がやってきた。カマロ自由騎士連合の制服を鎧の上に羽織っている。
「ムーアさん!この人…」
「助けてくれ!このお嬢さんが人の事を殺し屋と言って追い払おうと」
「殺し屋だから殺し屋なんです!」
「無茶苦茶だ!」
そんな2人を見比べるムーア。方やおなじみ警備隊長。もう一方は薄手とはいえ、黒いコートをはおった陰気な服装の壮年の男。
「ふむふむ、殺し屋とは言い得て妙だな」
「でしょう!」
「ちょっと待ってくれ!」
「うむ。だがそれだけでこの者が殺し屋であると決めるのは性急というもの」
それを聞いて男の表情はやや安堵。
「そうだな…おぬし、何か武器は持っておいでかな」
「一応は…」
と、取り出したのは「最終暗器・ゼロ」。それをしげしげと眺めて、ムーア。
「おお、良い感じの武器ですな。殺し屋っぽい」
「ぽいけど違いますから!」
「そうか…。警備隊長よ、どうやら彼は殺し屋ではないらしいぞ」
残念な表情のムーアの横顔を男は半眼になって睨んでいる。少女はびっくりして男を見返す。
「そうだったんですか!?すみません、てっきり…すみません、すみません」
「考えてもみたまえ、ハルモニア辺境警備隊の隊長殿も、彼とよく似たような出で立ちだが殺し屋ではないぞ」
「そうでした!本当にごめんなさい!」
「やれやれ、分かってもらえたんなら結構ですよ…」
何度も頭を下げるセシルに苦笑して、
「私はティントの商隊からの使いです。こちらにうちの者がお邪魔しているはずなのですが」
「ほう、ティントから。遠いところよくぞおいでになった」
「はあ…、まあ、これも仕事ですからね」
「私はカマロ自由騎士連合のムーアと申す。故あってこの炎の運び手に力を貸している所であります。よろしければこのマイルド・スタア城を案内いたしますぞ」
差し出された手を握り返し、殺し屋まがいの男も自己紹介をする。
「かたじけない。私はティントで鉱山学者をしているカーンです。こちらにリリィという者がお邪魔していると聞いたのですが…」
「リリィさんですか?ハイ、こちらにいらっしゃいますよ!」
「いたわね、殺し屋!」
セシルの言葉に応えたかのようなタイミングで、良く通る女の声が3人の耳に勢いよく飛び込んできた。
「この私が来たからには好きにさせはしないわよ!見ていなさいこの悪党…ちょっと、こっちを見なさいよ、あなた!」
片手で顔を覆っているカーンにずかずかと歩み寄り、腰の剣に手をかけたところでリリィの動きがピタリと止まる。
「あ、あれ?」
剣が抜けず、慌てて手元を見ると、柄の部分をいつの間にやら押さえられている。
「刃物を振り回す前に相手をよく見るように言ったでしょう」
その言葉にぎくりとリリィの顔がこわばる。
「リリィ殿、その方は貴方を訪ねてこられたティントのカーン殿ですぞ」
いかにも白々しいムーアの紹介は、リリィには聞こえていないようだ。
「あ…カーン。ひ、ひさしぶりね?」
「そうですね。一週間のご旅行の予定でしたが」
「ちょっと…長引いちゃって」
「それはそれは。グラスランドの事は私も興味がありましてね。じっくり聞かせて頂きましょうか」
「そんなに話す事もないんだけどな…」
「あなたになくとも私にはありますから」
きっぱりした口調のカーンに、リリィはめずらしく顔を青ざめさせていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
緊張顔でサムスが運んできたお茶に一口、口を付ける。ティントでリリィが好んで飲んでいたものと同じ葉だ。わざわざ取り寄せたのだろう。もちろん、安いものではない。
「うちの隊商を襲う盗賊『炎の運び手』を退治する、とティントを発ったあなたが、どうしてその『炎の運び手』の一員になっているのか…の、いきさつは一応窺いました」
リリィはせっかくのお茶に口も付けず、じっと自分の膝に視線を落としている。子供の頃から、この男にだけは頭が上がらないのだ。
「お嬢さん…大丈夫かな」
「まさかカーンさんがここまでやってくると思わなかったからな…そうとう応えてるぞ、あれは」
2人の様子を窺いながら、小声で会話するサムスとリードも表情は強ばっている。
今、普段からは考えられないようなか細い声で、リリィが現状の説明を終えたところだ。
「それで、先日あなたからドイル商隊に届けられた手紙の内容ですが。現金80万ポッチ、何にお使うおつもりか」
「グラスランドって…その、何かと物いりなのよ。ほら、デュナンにあるような物がなかなか無いじゃない?この城で生活する事になると、やっぱり色々と身の回りの物からそろえなければいけなくなるから」
「その2週間ほど前に10万ポッチすでに他の商隊から父親の名前で借り入れたはず。その金はどうしたんですか」
「それは、えっと。炎の英雄を捜すのに、ヒューゴ君をガイドに雇って、それで前払いしたら現金がなくなっちゃって…結局ヒューゴ君が炎の英雄だったみたいで…いや、騙したとかじゃないみたいなの、うん。ヒューゴ君が炎の英雄になっちゃったから、ホラ、私とヒューゴ君は友達だし、やっぱり…その、お手伝いするのが友達ってものじゃない?で、これから炎の運び手としてこの城で暮らすとなると、またそれ用のお金が必要になって…」
「リリィ」
「…ハイ」
「友人を手伝うのに人の金を使うのは、感心できない話でしょう」
「ハイ」
「炎の運び手の件にしても、あなたのお父上にきちんと報告する必要があります。一度ティントに戻りなさい」
「え…」
リリィがはっと顔を上げた。
「一度戻って、父上に自分がしようとしている事をきちんと報告しなさい。その上であなたが炎の運び手としてここに戻るか、ティントとしてこの事態に介入するか、もしくは静観するか。グスタフ殿が決めるでしょう」
「……」
リリィは真っ青な顔ですっかりぬるくなったティーカップに再び視線を落とす。
そんなリリィを厳しい表情で見つめるカーン。
さらにそんな両者の様子を窺うサムスとリード。
やがて。
「わかりました…」
暗い表情でそれだけ言って、リリィは立ち上がった。
そのままドアへ向かうリリィの背中に、
「明日、9時に出発します」
カーンの声。頷いて、そのまま退出していった。
おろおろと立ちつくすサムスとリード達だったが、自分たちの名前も呼ばれると、なにやら覚悟を決めた様子でカーンの前に並んだ。
「君たちはこの城に残って、ティント軍の指揮をするように」
「は…?」
きょとんとする2人。彼らもこの城から出て行くよう言われるとばかり思っていたのだが。
「軍を動かすこと自体はティントの決定だ。リリィをその任から解くのだから、誰かがその代わりをする必要があるだろう」
「……」
困ったように顔を見合わせていた2人だったが、リードがおずおずと口を開いた。
「カーンさん、お嬢さんをこの城に残してあげてくださいませんか。お嬢さんが羽目を外しすぎて、大統領やカーンさんにご迷惑をおかけしたのは俺たちの責任です」
じろりと睨まれてリードはひるんだようだったが、それでも目を逸らさなかった。
「…俺も、リードと同じ考えです。カーンさん、どうか…」
頭を下げるサムスに習って、リードも頭を下げる。
「…君たちは、自分たちが無理を言っている自覚があるのかな」
「あります」
キッパリ返答する2人に見えないところでカーンはこっそりと苦笑してから、口調だけは重々しく取り繕う。
「では、私の指示に従うように。リリィの勝手の責任を取るというなら、その方が方法としてかなっていると思うが」
「あ、あの…せめて、俺らのどちらかを、同行させて頂けませんか」
「だめだ」
ぴしゃりと言って、カーンは話が終わったと2人を残して出て行った。
部屋に残された2人は、ただため息をついて、茶器を片付け始めるのだった。
一方、クリスの部屋の前でうろうろしていたリリィは、疲れた表情で戻ってきた友人を発見する…。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
客室に通されて、長旅にほこりっぽくなったコートをようやく脱いで、そこらに掛けて一息ついたところに、
「ちょっと!」
可愛らしい声。
見ると、ベッドの中から小さな女の子が出てきた。何故かおかんむりのようで、頬をぷっくりと膨らませている。
彼女のことは見覚えがあった。ティントの大統領グスタフの娘、リリィだろう。
「やあ」
挨拶をすると、思い切り警戒されてしまった。
「な、なによ、あなた!」
「私はカーンだよ、リリィ。覚えていないかな」
「何よ、貴方なんか知らないもん!」
名前を呼ばれて、リリィはびっくりしたようだ。どうやら覚えられていないらしい。
「そうか、残念だな」
カーンがリリィの方に近づこうとすると、彼女はびくっとして後ろに後じさった。彼女の表情におびえの色が見えたので、カーンも察して、もとの立ち位置までゆっくり戻った。
「びっくりさせて悪かったね。私は君のお父上の知り合いだよ。怖がらなくて良い」
「パパの…?」
おっかなびっくりこちらをのぞき込んで、害意がないらしいと見るや、ちらりと勝ち気な光が瞳に浮かんだ。
「じゃあ、早く出て行きなさいよ!ここはリリィのお部屋よ!」
「おかしいな、私は客間に案内されたはずなんだが…?」
カーンが首をかしげていると、すぐに出て行かない彼に苛立ったようだ。
「もう!ここはリリィの特別のお部屋なの!早く出て行って!出て行かないと、パパに言いつけるわよ!」
「ははあ…」
ベッドに仁王立ちになるリリィに、カーンは苦笑してしまう。
「そういうわけにはいかないよ。私はここに客として通されたんだからね。君も、お父上のお客さんにそういう事を言ってはいけない」
この言葉に彼女は相当腹を立てたらしく、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
「な……、なによ、あなた!偉そうに!」
「偉そうなのはリリィ、君だよ」
「……」
リリィはむうっと口をへの字にして黙り込んでしまった。大人げの無いことを言ってしまったかな、とカーンは少し内省した。きっと吸血鬼の一件で、もともとかわいがられていた彼女はいっそう甘やかされていたに違いない。
ただ、この年齢の時自分は何をしていただろうかとふと胸をよぎり、彼女の人生をあの事件を理由にゆがめてしまってはいけない──と、そんな考えもよぎった…けれど、単に子供らしいとも言える自己主張に愛想良く返事を返したつもりだったりもする、自分が思っているより子供の扱いが苦手なカーンであった。…だめじゃん。
てっきり、そのまま泣き出してしまうかと思ったリリィだったが、きりりとカーンを睨み付けてきた。
「あなたなんか、大嫌いよ!」
そう言って、だっと部屋から出て行ってしまった。
「…けっこう気が強いんだな」
のんきに感心するカーンだった。
そのカーンがティントで暮らすようになって、リリィは長いこと彼が彼女の恩人であることを知らされずにいた。
そして確か、リードがまだリリィの世話役でなかった頃に、彼の口から聞いたのだ。
『お嬢さん、自分の恩人に向かってよくそんな事が言えますねえ』
彼が、自分に意見してくれる貴重な大人であることくらいはリリィも自覚しているつもりだった。だからこそ彼には一目置いているし、それを理解してくれているからこそ、我が儘な彼女にいちいち正論を述べてくれるのだろうと──そのくらいの信頼関係は築いているつもりだ。
だから、どうしてリードごときにそんなことを言われなければならないのかと腹を立てて何事かを言い返したリリィに、彼は自分にとってもカーンは恩人だからと言い返してきた。
何も知らされていなかった彼女は、当然こう問いただした。
『はあ?なんでカーンがあんたの恩人になるのよ』
『何言ってるんですか。俺だってまだ小さかったですけど、ネクロードの事件のことはみんなと同じように感謝してますよ。そりゃ、別に俺は吸血鬼にさらわれちゃいないですけどね』
それなのに、お嬢さんときたら…。そんな小言を続けようとして、リリィの様子がおかしいことにリードは気が付いたらしい。
『お嬢さん…。まさか、ひょっとして』
今さら気づいたところで、遅かった。
『な、なによ!馬鹿にしないでよ、知ってるわよそのくらい!知らないわけ無いじゃない!あ、あんたが知ってるのに…』
声を詰まらせてしまって、だっと走り去ってしまったリリィを気まずいおもいで、ただ見送るリード…。
この一件が原因で、リードはリリィの世話役になる運びとなったのだが…。とにかく、リリィはそれ以降もカーンとその話題に触れることが出来ずにいた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ラッキィ・スタアに現れた時も、今日リリィに姿を見せた時も、彼女の知らない黒い外套を羽織っていた。その姿はどうしても彼女を不安な気持ちにさせるものだったけれど、カーンはいつも通りの穏やかな表情をしている。
…それでも、全くの違う人物のように感じてしまう瞬間があって、どきりとする。今の彼の黒い背中を見ていると、彼女の知らない彼をのぞき見ることが出来る唯一の手がかりこそがこの外套に思えた。
彼のヴァンパイア・ハンターとしての正装であり。
彼の一族が追っていたネクロードがこの世から消滅した時に一緒にいなくなった、カーンの一部。
「ねえ、カーン。なんなの、その格好」
マイルド・スタアを出立して以来、初めて喋ったのが、このセリフである。
「昔の服ですよ。ティントに来る前に、旅をしていた頃のね。変ですか」
カーンは、ごく普通に、変わらない様子で問い返した。
「んー…。変。殺し屋みたい」
「似たようなもんです」
「……」
リリィは、彼の衣装をじろじろと眺めた。
「私と初めてあった時も、その服だったの?」
「ええ。怖がられてしまいましたけれどね」
「…私を、助けてくれた時も?」
「そうですよ」
リリィの口がへの字になったのをみて、カーンは笑った。
「覚えていませんか?」
「うん…あんまり」
怖かったのは、とても良く覚えている。誰かが助けに来てくれて、それがすごく嬉しかったこと。父と再会できて嬉しかったこと。父が、抱きしめてくれたこと。
でも、全てはとてもおぼろにしか思い出せない。マルロに問いつめて当時のことを聞かせてもらったのだが、やはり思い出せないことのほうが多かった。
「それは良かった」
「…なんで?」
「あなたが辛い思いをしたからですよ。覚えていないんだったら、その方が良い」
「へ」の角度がすこし鋭くなる。
「…カーンだって辛かったんでしょ」
「ええ」
「それじゃあ、私だけ覚えてないなんて、やっぱり不公平じゃない」
「そうかなあ」
彼女の知らない表情で苦笑した。
それがまた、リリィの癇に障った。
「そうよ!あ、あたしずっと、カーンにお礼を言わなきゃいけなかったのに、そのことを誰も教えてくれなかったんだもん!不公平よ!」
何年も言えなかったことがようやく言えて、リリィの顔は涙と鼻水であっというまにぐずぐずになってしまった。
カーンは、幼い子供にするように、彼女の頭に手を置いてやった。
「そうか。悪かったね、有り難う」
「…う、うう」
ハンカチを出して、涙と鼻水をぬぐってやる。彼女はされるがままにしている。その涙も、鼻水でさえ、カーンにはとても誇らしいものに見えた。
「私はね、君みたいに強くないんだ。私が、丁度君が吸血鬼にさらわれた年頃にどうしていたかなんて、思い出したいと思えない。とても辛い思いをしたからね。それに、私も君と一緒で、あの時助けてもらった側の人間だった。だから、君に対して私が何かをしてやったとか、そういう事ではないんだ」
カーンはあくまで穏やかな口調で淡々と話る。リリィは、どういう訳か、ただ無性に腹が立ってしかたがなかった。
「何よ!…ティントの人は、みんなカーンに感謝してるじゃない。あたしだって、すごく感謝してるのに、そんな言い方無いじゃない!」
リリィの剣幕に、カーンはやれやれとため息をついた。
「ああ、…そうだな」
「そうよ…あ、あたしだって…」
またぐずりだしたリリィのために、カーンは新しいハンカチを荷物から取り出した。
リリィが落ち着いてから、カーンは自分のことを話してやった。一族とネクロードとの因縁、15年前の戦いのこと。
「ティントで暮らそうと思ったのは、ネクロードを追って鉱山に侵入した時、坑道がとても綺麗だったからだよ。鉱石がまだ磨かれてもいないのに、そここで光っていて…。それまでは星空もほとんど気に留めたこともなかった私には、それがとても綺麗だった」
「坑道で、迷子になった時…助けてくれたでしょ」
「おや、覚えていたのか。まだ小さかったでしょう」
カーンが来てすぐの時のことだ。カーンが気に入らなかったリリィが父親に反抗して、坑道に逃げ込んでしまい、大騒ぎになった。
「あの時は、ちゃんと礼を言ってもらっているよ。それから、あなたの友達にしてもらったな」
「ん…そう」
もごもごと口の中でいいだしかけてはためらって、それからリリィはおずおずとカーンを見上げた。ほんの少しだけ前を歩いていたカーンは、その視線にすぐに気が付いて立ち止まった。
「何でしょう」
「あ、あの…」
なんとなく、分かってきたような気がした。
自分がわがままなことも、それで周囲に迷惑をかけることがあると言うことも、彼女なりに自覚はある。だから、カーンがやってきた時点で彼女はまず、マイルド・スタアに残ることは諦めることになるかと、覚悟をした。
それでも、どうしても彼女が諦めきれなかったのは、今回のわがままが彼女自身の為ではなく、彼女の友人達の為だったからで、ティントに戻されても自分一人だけでもグラスランドに戻ってくるつもりでいたのだが。
──そんな彼女の気持ちまで、きっとカーンは理解してくれているのだと、こちらを穏やかに見下ろす瞳は語っているように思えた。
彼もまた、大事な友人の一人だということを、リリィはようやく思い出した。
あの時から。
「カーンは、あの時、どうして助けに来てくれたの…?」
カーンはちょっと考えたようだったが。
「そうだな…まだ、あなたと友達になっていなかったからかな」
そういって笑った。
「私も、カーンみたいに、友達を助けられるかしら」
リリィがそう訊ねると、さあ、と言ってカーンは首をかしげながら背を向け、また歩き出した。
その少し後ろを、リリィがついて行く。
そして今度は彼を追い越して、その前を歩き始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マイルド・スタア城のレストランに。
まったりくつろぐ2人の壮年の男。
それぞれの目立つことこの上ない服装とあいまって、大変周囲から浮いていた。
「まさか、こんなところで会うと思いませんでしたよ」
ブルーベリータルトをつつきながら、黒ずくめの男。
「貴様もな。…それに、この城では私の方が先客だ」
トマトのみりん煮込み(おいしいですよ!)をフォークでつつきながら、人目をはばかるかのごとくずるずるした衣装の男。
「え?そうなんですか?何かご用事でしたか」
「まあな。それなりに私も忙しいのだ」
(そうかなあ…)
黒ずくめの男は、胸中でつぶやくのにとどめておいた。
「それはそうと、ティントと往復してきたにしては、ずいぶんと早いんじゃないのか」
珍しく興味津々の様子の魔術師に、カーンは説明を始めた。
元はと言えば、わざわざティントからカーンがやってきたのも、グスタフに相談を受けてのことだった。軍を動かした時点でグラスランドの状況は報告を受けていたものの、2度目の請求の金額の法外さに、さすがのグスタフも自分の娘が何をしているのか不安になったらしい。
「娘の様子を見てきて欲しい」
そう頼まれたカーンだったが、カーンはグスタフにも同行を求めた。
「どうしてカーン殿がわざわざここまで儂を連れてきたのか、よくは分からなかったのだがなあ…」
ブラス城で娘を迎えたグスタフは、しみじみとリリィを眺めて、大きくひとつ頷く。
「きっと彼は、お前が成長した姿を儂に見せようと思ったんだろうな」
リリィは改めてティント軍を借りた礼を言って、炎の運び手に協力したい旨を説明した
──カーンにそうするように前もって念を押されていたのだが。
「自分で決めたことだ、きちんとやり遂げなさい」
それだけ言って、グスタフは安心したらしくティントへと戻っていった。
「呆れた…」
この魔術師が、ここまで呆れきった表情をするのも珍しいだろう。
「貴様が一番、あの娘に甘いのではないか」
「否定はしませんが…」
そう言って苦笑するカーンに、ザムザも苦笑を漏らしながら頷いた。
「ふむ、自覚はあるのだな」
「まあねえ。でも、私は一応、リリィにもグスタフ殿にもベストになるよう、努力したつもりですよ。それに、羽目を外しすぎないように、一応は釘を刺しましたからね。しばらくはサムスとリードが苦労するだけでどうにか収まるんじゃないかと思いますよ」
サラリと非道いことを言う。
「それにしばらくあなたがこちらにいると言うんでしたら、私も安心してティントに戻れますよ」
ここまで呑気に聞いていた魔術師は、ぴくりと眉毛をつり上げた。
「何だ、面倒を私に押しつけるつもりならゴメンだぞ。何度も言うが、私には自分の用事があるからな」
「そうですか?残念だなあ。あの娘と同じ土俵で渡り合えるのはザムザさんだけなんですけどねえ」
そう言って心底残念そうにため息をついてみせるカーンだが、放っておけない気性の友人にしつこく頼む必要がないことを充分知っているので、あっさり引き下がった。
「さて…。私はもう、帰りますよ。あんまりのんびりしていると、手を貸したくなってしまう。これ以上は甘やかすわけにはいきませんからね。ザムザさんも、あまり無理をしないようにしてくださいね」
「余計なお世話だ」
右手に巻かれた真新しい包帯をさすりながら、ザムザ。
「用事が済んだら、デュナンに戻る前にティントによって、是非お話を聞かせてくださいよ」
「構わないが、リリィのことは娘自身の口から聞けよ」
「ははは…」
照れ笑いをひとつ残して、カーンは席を立った。
草原を歩き出してから、ふと気になってカーンは振り返った。
(結局、ザムザさんはどうしてマイルド・スタアにいたんだろう…?)
その辺りも、いずれは聞かせてもらえるだろう。暑苦しいコートを腕にかけ直すと、カーンはゆっくり、ティントに向けて歩き出した。
★ ★ ★ ★ ★
ザムザがビュッデヒュッケにいた理由は
あまり深く考えないようにしてください。