ふて寝

 その日は木陰をザムザが独り占めしていた。
 のびのびと横になってはいるが、その表情はあまり冴えない。右腕は白い包帯で大げさにぐるぐる巻きにされ、肩から布でつってある。いつもの特等席を争うムササビが見あたらないのは、たっぷり塗られた薬の臭いを嫌ったためだ。
 新兵の訓練と魔法兵の配置や分担の打ち合わせが続き、ろくに寝ていなかったのが原因だろう。ふとした拍子に紋章が暴発、幸い他に怪我人が出るようなことはなかったものの、普段「慣れて」いるザムザにもこたえるほどの火傷でホウアンからは厳しく叱られてしまった。そして。

 ふう、と大きくため息をつくと、小さく笑いが漏れる気配。顔を上げると、少し離れた場所からゲオルグがこちらに手を振った。その手に持っているものと彼を見比べて、ザムザは呆れた。
「こんな時間から飲んでるのか」
「おう。こんな時間からふてくされてるのか」
「余計なお世話だ」
「一緒にのまんか」
「……」
 持っている酒は、普段彼が飲んでいるものより幾分か飲みやすそうではある。おそらく、ザムザと一緒に飲むつもりでわざわざ用意してきたのだろう。
 少し考えてから、むっつりと起きあがるザムザに、ゲオルグは持ってきたグラスのひとつを差し出す。
「お前の弟分の魔法使いの小僧、あいつも呆れてたぞ」
「ふん…」
 どうやら、珍しくルックにまで心配されたらしい。
「まあ、私もまだまだ未熟だということは認めるさ」
「なんだ、えらく弱気だな。その紋章のせいか?」
「貴様、そんなことまで聞いてきてるのか」
 まずそうに酒を一口すする。彼が普段飲む酒よりは、やはり強かったものの、今日の彼にはこのくらいでちょうど良かった。体調はともかく、気分には。
 そのザムザの左手には、彼が嫌う『火封じの紋章』がついている。これ以上火傷を進行させないように、という戒めである。この紋章がついているからと言って、彼の『炎の竜の紋章』が使えなくなるというわけではないが、どういう訳か彼はこの紋章を嫌っていた。
 それに、実のところ、ただ炎の竜の紋章を発動させている分には、彼の拳は焦げない。普段彼が火傷を作るのは、ほとんど暴発寸前で使っているせいなのだ。周囲からどう思われているにせよ、その「寸前」という部分こそが彼にとって重要なのだ。
 ──そんな話を聞かされた弟分は、いつもどおり呆れた様子だったが。
「まあ、俺も聞いて呆れたけどな。おまえの無茶はいつ聞いても面白い」
「勝手に人を酒の肴にするな」
「まずい話じゃ酒もまずくなるからな」
 そういってゲオルグは顔を少ししかめる。たった今、まずい酒杯を空けてきたらしい。
 それに気づかぬふりをしてザムザは自分もまずそうに酒を飲む。後でホウアンに怒られるだろう事も、この際忘れておく。
「ふん。…どのみち、まずい」
 話につきあってやる、ということらしい。
「ははっ」
 ザムザのグラスに酒をつぎ足しながら、
「お前は面白いヤツだなあ」
 しみじみと、そういって笑った。ザムザはじろりとそれを一瞥。
「それは、褒めてるんだろうな」
「もちろんだ」
「なら、良い。…なあ、ゲオルグ。ネロとはどんな約束をしたのだ」
「さあな。ネロに聞いたらどうだ」
 ふん、とまたザムザは鼻を鳴らした。
「そう拗ねるな。ちょっと余計な世話を焼いただけだ。…お前が思ってるより、俺はいい奴だぞ?」
「……」
 結局、うさんくさそうな視線をよこしただけだったが、それでもおそらく、彼はゲオルグに感謝をしているらしい──と、過剰な思いこみではない確信に、いっそう愉快になる。おそらく、礼を言えと促したら本当に(口調はともかく)素直に礼を言うのではないだろうか。
「もっとも、俺に出来るのは約束を守るところを見届けるくらいだけどな。そこまでが俺の契約だからな」
 ザムザにも、ゲオルグ自身にも、際限なく彼らを救えるものではない。彼ら自身が決断し、やり遂げなければならないことに関しては、特にだ。
「──そうか」
「落ち込むな。お前は馬鹿みたいに無茶なところが面白いんだ。あいつらにも分かってるさ」
 いささか特殊な手段ではあるが、それが彼なりの思いやりなのだと気づいているから子供みたいなケンカばかりになるのだと、ゲオルグは知っている。
「ザムザ、お前は俺が知ってる中でもそうとう面白いし、たいした奴だ。前にも言ったが、良い相棒だと思ってるよ」
 そう言うゲオルグの表情は苦い。ザムザは口を挟むことはせず、グラスをあおって続きを待った。

 黄金皇帝バルバロッサ。その男がそう呼ばれる以前、彼はその男と友人だった──そんなようなことを、ゲオルグは言葉少なに語った。
「だいぶ国が荒れちまったらしいからな。国のやつらがあいつを恨むのも仕方がない。国が無くなっちまったのも、まあ、仕方がない。でもなあ、その理由が…くだらん」
 吐き捨てるように言って、また酒をあおる。同じように、ザムザもちょっぴりグラスを傾ける。
「女に本気で惚れて、惚れた相手も最悪だったが、とにかく惚れ方がへたくそすぎる。最低だ。そんなことで簡単に、それまで大事にしていたはずのものがどうでも良くなっちまう。
 お前も覚えておいた方が良いぞ。ああいうたちの悪い連中は、なにかしでかす直前までそいつがどうしようもなく救い難い馬鹿だってことを、これっぽっちも気づかせないようにしていやがる」
「ふふん」
 めずらしく苦笑などしてみせるザムザを、ゲオルグは不思議そうに眺めた。
「好き勝手に言うものだな。少し、自分のことを棚に上げすぎではないか」
「…お前が、それを言うかよ」
 ひとかどの大馬鹿の代表のような男に、実のところ痛い部分を指摘され、ゲオルグは珍しく幼い口調になってつぶやいた。
「気に障ったのなら謝っておこう」
「…充分障ったよ」
 腹いせに、涼しげな表情のザムザのグラスになみなみついでやると、すでにグラスを持つ手がずいぶん危なっかしくなっていることに、ゲオルグは少しだけ溜飲を下げる。
「俺が自分で何をやらかしたところで、別にどうもせんさ。俺だったらもうちょっとうまくやってるに決まってる」
 一気にグラスをあおると、さすがにそろそろ応えてきた。その様子を呆れたように見ていたザムザだったが。
「ああ──そうだな」
 つぶやいて、同じように一気にグラスをあおったので、今度はゲオルグがあっけにとられた。
「そう落ち込むな。貴様はこの私の見込んだ男だ。馬鹿ではあるが──たいした奴さ」
 にこーっと笑ってみせると、ふにゃっと芝生に崩れた。慌ててグラスを取り上げ、腕に負担にならないように姿勢を少し直してやる。ザムザは時々ふにゃふにゃと無意味なつぶやきを発しながら、それは楽しそうな笑顔を浮かべている。
 しばらくその馬鹿面をながめていたゲオルグは、急にいろいろとばからしく思えてきたのだった。
「ははっ──」
 気の抜けたような笑いが腹から漏れると、ゲオルグは本当に愉快でたまらなくなってきた。
「まったく、本物の馬鹿にはかなわんものだな、実際。…こういうやつが近くにいないと、意外と自分も馬鹿だって事に気がつかんのかもしれんな…」
 寝息が混ざり始めたザムザを眺めながら、ゲオルグはつくづくそう思った。
「俺もなあ、馬鹿ってところには割と自信があってな。お前ほどじゃあないが。…だから余計、あいつの最期を聞いた時にもどかしかったんだろうなあ。この年でこんなみっともない酒の飲み方をする羽目になるとはなあ…」
 ただ、その場にいてやれたら。
 それだけが少しだけ悔しかったのだろう。
「…気にするな。ちょっとみっともないくらいでちょうど良いこともある」
 返事が返ってきて驚いたが、寝ぼけ半分のようだ。
「そうか、覚えておくよ」
「うむ…」
 返事なのか寝言なのか。再び、気の抜けた笑いが漏れる。
 底から指の関節2つ分ほども残っていない瓶の中身を一気に飲み干すととたんに酒が回って、ザムザを真似るようにゲオルグも芝生にごろりと横たわった。
「はは、たまにはこういうのも気持ちいいもんだな!すっかり忘れてた」
 そして、ザムザに負けないくらいの楽しそうな寝顔で盛大な寝息を立て始めるのだった。