寄り道

「これでは、たいした金額にもならぬな」
 たくましい眉を器用に持ち上げて、アズラット老人は断言した。
「なんだと?」
 苦労してレルカーから運んできた本の山を背に、オロクは憮然と問い返した。
「一見した所、手に入れること容易きものばかりなり。おまけに焦げの臭いが非道い」
 確かに。鼻を近づけずとも臭う。直接炎に巻かれたわけではないが、一度煙に晒されてしまったこの臭いは簡単には取れないだろう。
「仕方ないな」
 しかし、諦めるのもしゃくにさわる。オロクはそれらを城の外に運び出して、虫干しすることにした。たいした金でなくとも手に入る物なら入れておくに越したことはない。

 少し雲が多いが、日差しはまあまあ明るい。虫干しには丁度良い気がする。ござを敷いた上に並べられるだけ敷き詰めた本のひとつを手にとる。
「暁の呼び声」
 なるほど、有名な歴史小説だ。ぐるりを眺め回してみると、あの男の持ち物らしい、凝った装飾。中を開くと数枚、多色刷りの豪華な挿絵まで添えられていた。
「最後まで読んだとはおもえんがな」
 屋敷の主がいようがいまいが、これらの本は所詮あるだけ無駄だったことは疑いようがない。
「どうせ読まんのなら、高値の付くものを置いておけば良いものを。つかえん男だ」
 文句を言いながら、ぱらぱらとページをめくっていく。読むともなしに眺めていると、紙面に影が差した。
「オロクさん、読書?さっきから熱心だね」
「お前か」
 見上げなくともわかった。以前彼が用心棒として雇っていたこともある拳法家だ。
「別に熱心じゃない」
「そう」
 腰をかがめてさらに本をのぞき込んでくるのを邪魔に思い、文句を言おうと、ちょっとだけ顔を上げたオロクはそこでようやく、空の色がずいぶん変わっていることに気が付く。ニケアの広い肩越しに、アスピニスタアと気取った名前を付けられた城の白い石壁が柔らかくオレンジ色に染まりかけているのを見上げて、オロクはため息をついた。
「…もうこんな時間なのか。無駄な時間を過ごしてしまったな」
「別に、いいんじゃない」
 閉じようとした本を、ニケアに取り上げられた。何をするつもりかと思えば、ただ彼女はオロクの隣に腰を下ろした。
「これ、昨日苦労してあたしが運んだやつだよね」
「全然金にならんらしい。骨折り損だったな」
「ふうん。残念だったね」
 文句でも言うつもりなのかと思ったが、特に気にしていないらしい。
「ねえ、何か面白そうなのあったら、もらってっても良いかな」
「…お前が本を読むのか?」
「興味はあるかな…あはは」
 ひきつった笑顔をつまらなそうに一瞥して、好きにすればいいと適当に答えた。
「もともと、あの領主も熱心な読書家というわけではなかったからな。多少なりとも身を入れて読書くらいしておけば、もう少しまともな領主らしいことも出来たかもしれん。お前も、少しくらい食うことを控えて代わりに読書くらいした方が良いかも知れないな」
 ニケアはぱちぱちと目を瞬かせていたが、それから吹き出した。
「ふ、ふふ、ねえ、オロクさん。オロクさんって、デビアスさんて人と仲良しだったの?」
「…は?」
 今度はオロクが目を瞬かせた。
「だってさ、いつもデビアスさんて人のこと話すとき、随分遠慮無いって言うか。言いたい放題だよね」
「そうか?」
 そんなことが面白いか?よく分からない女だ。
「そうだよ。それに、なんかオロクさんからデビアスさんのこと聞いてると、悪い人じゃ無さそうな気がするんだよね。憎めないって言うか」
「別に、あの男は悪人ではなかった。無能だっただけだ」
 オロクの言葉に、ニケアはまた吹き出す。
 だから、何が面白いというのか、さっぱり分からない。
「まあ、どうでも良い。本を片付けるのを手伝っていけ。そうしたら、好きな本を持っていって良い」
「えー、さっきと言ってること、ちょっと変わってない?」
「気にするな」
 いい年をして頬を膨らませるニケアとの会話を切り上げて、さっさと作業を始めようと腰を上げたところで、呼び止められた。
「オロクさん、はい」
 ニケアは、腰帯にじゃらじゃらと結びつけられたどこぞの土産の紐飾りをひとつはずすと、先ほどオロクから取り上げた本に挟んで、こちらに促してきた。
「?」
「これ、最後まで読んじゃいなよ」
「別に良い。以前読んだことがある」
「そう言わないで、さ。またレルカーに行くとき、船で暇な時間にでも読めばいいじゃない。ね!」
 突き返した本を、更に強引にオロクの手に持たせた。断るのももう面倒くさいので、しぶしぶ受け取った。
「読み終わったら、あたしに貸してよ。ね?」
「…はあ?」
 自分の要求が了承されたと見なし、勝手に満足したらしい。ニケアはさっさと本の片付けに取りかかり始めた。オロクも本を手に突っ立っているわけに行かないので、それを手伝う。
「…いつ読み終わるかわからんぞ」
「ん、何?」
 独り言のつもりだったが、少し聞こえたらしい。オロクを振り返ったいかにも脳天気な表情。
「手を止めるな。図書館に持っていくぞ」
「はーい」
 オロクの倍の量の本をかかえて前を歩くニケアの背中に向かって、
(良くわからんが、お節介な女だ)
 今度は聞こえぬよう心の中でこっそりつぶやいた。


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 ニケアが仲間になったときにいちいちオロクから手紙が来るの、大好きなんですよね(笑)。なんとなくオーコギとか桃缶とか念じながら書いてしまいましたが、別にオーコギになってくれなくても。ああいう距離感の関係が成立してくれたらいいなあオロクさん寄り道とか下手そうだから。
 で、あの本は結局、オロクが町を出るときに部屋にぽつんと残していくとかいう使い道になったらいいかな…なんて。それまで大事に時間をかけて読んでいたとかではなく。

 なんとなく、去り方がサンチェスさんとかぶって切ないオロクさんなのですが、ファレナから出ようとしたところをうっかりエストライズで私の大好きなボズさんに見つかり、強引に(奥さんの暗躍もあり)ボズの下で働くことになってたりしてくれると嬉しいです。