帰り道
はずかしいピンクの3輪自転車に、くくりつけられたやはりピンク色の荷台。どういう意味か分からないが殴りかかれている「069」の数字。
そして、何故かがんじがらめに縛り上げられて荷台に載せられているオロク。
3輪自転車を楽しそうに漕いでいるワシール。
ワシールが、エストライズを訪れたのは3日前。突然のことだった。
「やあ、オロク。こんなところで会うとは思わなかったよ」
「……」
オロクがワシールの言葉を全く信じる気にならないのは、彼の後ろに、かつての自分の子飼いの部下が6人、にこにこしながら並んでいるからだ。
「お久しぶりッス、オロクさん!」
「奇遇ですね!」
何をしに来た、なんて聞くだけやっかいなことになるのはいかにも明らかだ。
「帰れ」
そうして欲しいと、それだけを祈るような気持ちで口にしたが。
──エストライズで捕まってからここまで、脱走を試みること6度。逃げ出すこと3度。連れ戻されること3度。挙げ句の果てに、ぐるぐる巻きに縛り上げられ、つれてこられたのが忌々しいこのレルカーの町。
「もう縄をほどいたらどうだ。おとなしくしているぞ」
「馬鹿を言ってはいけません。何度だまされたと思っているんですか」
ワシールは、こちらも見ずに言い返してきた。オロクは憮然と、荷台から流れていく町並みを眺める。人々は、ピンクの3輪自転車とピンクの荷台を目にとめると、皆あっけにとられた表情になって、それが自分たちの脇を通り過ぎていくのを見送る。荷台に後ろ向きに乗せられているオロクは、自然、彼らのそんな表情ばかりを見せられる形になる。
まるで、彼がいなくなってから何事もなかったかのような町並み。この町にあんな事件など起こらなかったように、日常を送っている人々。
(──都合の良い妄想だ)
この町は焼かれ、多くの人が戦争によって命を失った。
中州をつなぐ橋に自転車がさしかかり、荷台もガタガタと揺れた。ワシールはどこまで、いつまでこうして自分を引きずり回すつもりなのか。
「ねえ、オロク。そのうちで構いませんから、レルカーに戻ってきてください」
「いやだ」
考えるより先に即答したとしか思えない早さ。
「じゃあ、今すぐ戻ってきますか」
「イヤだ」
「じゃあ、いつ戻るんですか」
「絶対に戻らん」
ガタリ、と小石を踏んだ荷台が小さく揺れる。決してこの荷台の乗り心地は良くない。
「そんな、子供みたいに。いやいや言わないで下さいよ」
「とにかく嫌だ」
「まいったなあ…」
のんびりした口調に、とても参っているようには思えないな、とオロクは胸中で毒づいた。
「…オロクさんは、どうしたら許してくれるんですか」
「どうしようと絶対に許さん」
口にしてから、何を許せないのかと、オロクは一瞬自問した。
考えるまでもないことだ。
「俺はこの町を守れなかった俺を絶対に許さん」
やれやれ、とワシールは苦笑した。
「そんなこと言わないで許して下さいよ」
「いやだっ」
「それじゃあ、たまには遊びに来てくださいよ」
「それも嫌だ」
自分でも大人げのない言い方だな、と呆れてしまう。間接的にワシール自身を責めているのと同じ事だと分かっているし、そのつもりは勿論ないのだが、それでもこれだけは彼自身、何としても譲れないところだった。
(くそっ、何で俺がこんなこっぱずかしい目に…。あの男がいたらさんざん文句を言ってやるものを)
この町の領主だったデビアスの顔を思い浮かべて、すさまじい形相でオロクは歯がみする。
(あの無能めっ、ああなる前にもっと真面目にゴドウィンに胡麻でもすっておけば、俺も多少の時間が稼げただろうに!交易の中継で成り立っているレルカーが中央にコネくらいなくてやっていけると思ってたのか、あいつは!だから、フリでも良いから努力しろとあれだけ言ったじゃないか!まったく、俺の苦労をぜんっぜんわかってない!あいつは!いつもそうだ!いつでもだ!)
「オロクさん?」
何か様子がおかしいらしいと気付き、ワシールが呼んだ。我に返るオロク。
「あ、ああ」
ゆっくり息をつこうとしてから、やはり考え直して舌打ちをする。
「…あんた、俺がこの町を出てちゃんとやってるのか。こっちの方面からやって来る品物がちょっとずつ値上がりしてきてると報告を受けてるぞ。船の往来の管理はちゃんとやってるんだろうな」
唐突に、拒絶以外の言葉を振られて、ワシールはちょっととまどったようだった。
「すみません、ハーシュビル軍港からの船が増えたので、荷の管理が間に合っていないんです」
「なにやってるんだ、こんな時に。まだ国が不安定なのにそんなことで物価を不安定にしてどうするんだ。よりによってこの、レルカーでだ。馬鹿か」
「すみません。なんとか人手を増やして対応しようとしてますし、桟橋も増やしているところなんですが」
「とっととやれ。…ビーバーがいるなら、船を直接桟橋に止めずに荷受けもできるだろう。なんでもいいから、なんとかしろ」
「オロクさんも手伝ってくださいよ」
「いやだ」
ワシールは、オロクと元の領主デビアスがやりあっているところを見たことはないのだが、きっとこんな様子だったのだろう。オロクは、領主が町を出て行くのを引き留めなかったし、怒らなかったと彼の部下から聞いたことがある。
(きっとデビアス卿も言われるだけ言われたんだろうなあ)
そうしてさっさと気前よく許してしまったのだ。
「はは…」
ワシールは困ったように笑うしかない。オロクも珍しいことに、少しだけ笑ったようだった。
「なあ、ワシール。俺は、俺を許したくないんだ」
「……」
(ヴォリガに任せた方が良かったかも知れないなあ)
自分は結局、オロクと面と向かって話す勇気がないのだな、とワシールは悟って苦笑いする。今の彼の表情が見えなくて良かった、と安堵している自分が情けなくてたまらなかった。
「我が儘ですねえ。ああ、でも、謝らないでくださいよ」
「我が儘を言うのに、いちいち謝るわけ無いだろう」
もっともな話だ。そして、彼らしい言いぐさだった。
「仕方ない、しばらくこのまま付き合っていただきますよ」
「いやだ、おろせ」
そろそろ真剣に腰が心配になってきたオロクだった。少しでも姿勢を変えたいと身じろぎしていると、また小石を踏んで荷台が小さくはねた。
「お」
オロクの身体がふわっと浮いた。
(道の整備もなってないじゃないか、ワシールめ!)
地面に顔面から着地するまでの短い間に、ワシールを胸中で罵倒してみせるのはさすがと言ったところだが、とにかく顔面を打ち付け、首をひねり、肩やら背中やらさんざん打ち付ける間にも、自分の手下だった男達までさんざん一通り罵って、ようやくオロクは止まった。うち捨てられたように地面に転がるオロクに、周囲の者達も息を呑んで近づけない様子だ。
「あ、オロク!大丈夫ですか」
(遅い!)
ようやく気づいて自転車を止めたらしいワシールに再度悪態を付く。いろいろと身体的に不具合で、とにかく声が出せない。
と、ようやく助け起こされて、溜めていた文句を言おうと口を開いたオロクは、それがワシールでなかったのにびっくりして、絶句してしまった。一方、助け起こした町の若者もオロクの惨状に絶句してしまったらしい。
「あ、あの…オロクさん。大丈夫ですか」
「全然大丈夫じゃないよ」
「そのようで…。あー、とりあえず縄をほどきますから」
「……」
かろうじて舌打ちを堪える。
(今ほどいてもらったところで、逃げられんだろうが、くそ)
考えていたのはそんなくだらないことだったわけだが。
遅れて駆けつけたワシールの顔を見ると、その分盛大な文句がオロクの口から次々と出てきた。それにいちいち謝るワシールが、ぽつりと。
「これじゃあ、ヴォリガにも怒られてしまいそうだなあ…」
こぼしたのをオロクは聞き逃さなかった。
「ヴォリガがどうした」
あ、という顔をしてから、ワシールは開き直ったらしい。
「夕食を用意してるんですよ。ご一緒していただくつもりですから」
「いやだっ。できるかっ。帰るぞ、俺は」
と言っても、若者にかかえられたまま、手足をじたばたするしか出来ない情けない状態だった。視線を周囲から感じて、しぶしぶオロクは抵抗をやめた。
「じゃあ、彼を屋敷まで運ぶのを手伝って頂けませんか」
「はい。オロクさん、背負いますから」
若者の背中や腕に、いくつも古傷があるのが見えた。はっきりと覚えているわけではないが、それでも彼自身が徴兵した若者の1人だろうという確信があった。
オロクが素直に背負われると、若者はゆっくりと歩き出した。
(さっきより情けない状態なんじゃないか、これは…)
今にも舌打ちしようかというときに、若者がオロクの名前を呼んだ。
「うん?」
「オロクさん、また、いつでも戻ってきて下さいね」
「……………」
(卑怯だな。ワシールめ…)
彼のせいではないようだが、彼のせいということにした。
「……………………、イヤだ」
忘れた頃にぽつりと返された返事に、若者も笑うしかないようだった。
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