やっぱり劇が好き


 ゲドは今日も劇場に来ていた。
 自分が演じるとなると全く気乗りしない男だが、見るのはむしろ好きな方だった。自分の好きな演目でなくても、それはそれで気持ちよく寝ていたりすることもある。「炎の運び手」がこんな事をやっていて良いのかという疑問もあるが、誰も違和感なくこの施設を受け入れているようなので黙殺を決めている。ジンバはクリスが出演するたびに野次りに来ている。その後ろ頭を見ながら、キッカがいたらどうするかな、と考えてみたこともある。たぶんジンバの横で一緒に野次っているだろうと確信して、その想像はなかったことにした。
 たぶん、そんなふうにダラダラくだらないことを考えたり出来るのが好きなのだろう。
 そう、例えば、隣に座っていた女性が深く付いたため息を聞きつけて、
「どうした?」
 と訊ねてしまうくらい。
 問われた女性はビックリしたようだ。まさか声を掛けられると思ってもいなかったのだろう。まさか、この男に。
「すみません、上演中に」
「いや、構わん」
 今日の演目はロミオとジュリエット。主役を演じているのはクイーンとエースだったので、本当に構わなかったのだが、女性は困ったように軽く頭を下げた。
 彼女は。
 ようやく、その女性がアップルという軍師だったことを思い出したゲドだった。

 幕間になって、いったん劇場内が明るくなる。アップルを見ると、閉じたカーテンを睨むようにしてなにやら考え込んでいるようだった。何があるのかとカーテンを眺めてみるが、何もおかしな所はない。彼女も真面目に劇を見に来ている客というわけではないのかもしれないと、思い当たって妙に親近感を覚え、ゲドは席を立った。そして帰ってきた。
「わっ?」
 突然目の前に差し出されたカップに、思わずアップルはのけぞった。カップから視線をたどっていくと、眼帯を付けた陰気な男の顔にたどり着いた。
「コーヒーは嫌いか」
「い、いや…ありがとうございます」
 おっかなびっくりカップを受け取って、隣の席に腰を下ろしたゲドをおずおずと見やる。
「席を変えたのかと思ったんですが…」
「そうか」
 ゲドの相づちに、アップルは一瞬だけ珍しいものを見たように軽く目を見張った。
「…劇は、お好きなんですか?よくいらっしゃってるみたいですけど」
「ああ」
「私もです。劇作りって、ちょっと軍略に通じるところがあって…」
「…変わった見方をするんだな」
「えっ、そうですか…?」
 本当に驚いているらしい。まじまじと見返されて、ぼそぼそとゲドは続けた。
「俺も良くはわからんが…そういう客はあまりいないようだ」
 これを聞いてアップルはまたひとつため息をついた。
「はあ…、そうなんですか。難しいですねえ…」
 情けない表情でコーヒーをすすり、メガネを曇らせたまま落ち込んでいる風のアップル。
「何が」
「え?」
 ゲドの言葉に、アップルはまた驚いたようだ。
「何が難しいんだ」
「ええっ?」
 言い直すと、さらに驚いたようだ。さっきからいちいち驚いてばかりで、妙な女だ。そんなことを思うゲドは、普段劇場にいるとき自分の周りが妙に空席がちなことにもうちょっと気を回すべきだ。
「あ…わ、私、マッシュ・シルバーバーグの弟子で…、先生の伝記を書いているんです。それで…この間、マルロさんが書いたネロくんの伝記が劇になってるのを見て、マッシュ先生のことも脚本にしてもらえないかと…思って、ナディールさんにお願いしてきたんですけど、その、断られちゃって」
「ああ」
 そういうことか、そうゲドが納得していると、アップルはちょっと笑った。
「私も変わってる方ですけど、ゲドさんもちょっと変わってますね」
「まあ…そうかもしれんな」
 否定はせず、首をかしげるゲドであった。

 窓辺に当たったスポットライトに、女性の姿が浮かび上がる。クイーンだ。服装が違うと、雰囲気もずいぶんと違う。
 もう一条のスポットライトに、こちらも芝居がかった衣装を身につけた男が浮かび上がった。こちらもゲドはよく知っている、エースだ。ただ窓辺に声を掛けるだけの芝居なのに、あちこち歩き回ったり立ったりしゃがんだり。セリフもやたらと芝居がかっていて、聞くだにうっとおしい。そんなことを考えて、本当は、自分は芝居が嫌いなのだろうかと首をひねっていた。
「あーっ」
 唐突に、アップルが声を上げた。ゲドはちらりと彼女を横目で見る。
「今日は早いな…?」
「え?」
 ゲドの声にアップルが振り返る間に、舞台のセットは音を立てて崩れ去った。明るくなる場内、賑やかになる観客達にアップルは呆気にとられているようだ。
「なんでセット壊れちゃったんです?」
「さあ…。この演目は何度見ても良くわからんな」
「は?」
「…いや…今日は確かに…いつもと違う壊れ方だった…だったかな」
「あの、これ舞台が壊れる内容じゃないはずなんですけど」
「!」
 びっくりして言葉が出ないでいると、どこかつかれた口調でアップルはひとりごちた。
「…この劇場でマッシュ先生を題材にしてもらうのは…考えた方が良いみたいね」
 舞台にはタンカがようやく運ばれてきて、セットの下敷きになったエースを引っ張り出そうと試みていた。



 医務室の前にやって来る度に、いい加減突き当たりの壁を修復した方が良いのにと思う。それから、壁の穴から湖の湖面がきらきら光っているのが見えて、もうしばらくこのままにしておいて欲しいなと考え直す。そしてようやくドアのノブを回した。
「エースうー、ケガしたんだって?」
「なんだ、お前か」
 この発言にアイラの機嫌はぐっと急降下。
「なんだよー、見舞いに来てやったのにー」
 口をとがらせて抗議すると、エースはなだめるように謝ってきた。
「悪い悪い。別にたいしたケガじゃないんだよ」
「じゃあなんでここにいるんだ?」
「う…まあ、それはだな…たいしたことなくても痛いものは痛いんだよ」
 言いつつ、エースはこちらに背を向けて仕事をしているミオをちらちらと見ていたりする。その意味をアイラはアイラなりに解釈してみた。
「そうか。大変だな。じゃあ、あたしがカラヤのまじないを掛けてやるよ」
 医務室から飛び出そうとするアイラを、エースは必死で止める。
「いいって、いいって!い、痛いだけだって言ってるだろ」
 言いつつ、エースの表情は引きつっている。痛いのか?痛いのか!の自問自答。
「そんなの、なおさら悪霊とかの仕業かも知れないじゃないか。待ってろ、準備してくる!」
「いいって、よせってば!その準備いらないから!頼むから!」
「そうか〜?いいのか?だって、痛いんだろ…?」
「いい、すぐ治るから!ありがとな、アイラ」
 その笑顔も妙に引きつっているように思えたが、本人が固辞しているのでアイラも仕方なくあきらめることにした。もともとこの男はカラヤの呪術や精霊達にあまり好意的ではないようだから、すぐ治るものをむりやりまじないにかける必要もないだろう。
「あ、そうだ」
 思いついて、持ってきたものの忘れていた包みをエースに渡した。
「差し入れ。クイーンからだよ」
「おう。あいつにしちゃ気が利くじゃねえか」
「ケガさせて悪かったって」
「ふーん。なんであいつはいつもいつも…今日は危うく死ぬところだったぜ」
「クイーンはエースのせいだって言ってたぞ」
「あのな。今のこの俺を見ても分かるだろ、被害者はこっち!」
「うーん、でもクイーン、あたしには優しいもん。エースが何か怒らせるようなことをしたんだよ」
「んー?怒らせるようなことだあ?こっちが怒りてーよ、まったく…」
 ぶつぶついいながらガサガサと包みを開いていたエースだったが。
「ぶッ!?」
 いきなり吹き出して、その包みをサッと元通り閉じてしまった。
「んっ?なになに?」
「なんでもねー!なんでもねっつの!」
 何でもないわけがあるまい!しかし、エースは執拗に包みをアイラから隠そうとする。手渡されたときにクイーンが言っていた言葉を思い出す。
「あっちで暇してんだろうから。こういうの持っていってやると喜ぶよ。バカだからね」
 バカだからね…?
「ちえー」
 とりあえず、すねてみせつつ。
「…じゃあ、こっちの包みは何が入ってるんだ?見ちゃえ」
「うおわー!?ばっばか、見るな!」
 アイラが別の荷物を取り出そうとすると、エースは血相を変えてアイラの鞄に取り付こうとベッドから体ごと腕を伸ばしてきた。その腕をひらりとかわして、エースが背中に隠していた先ほどの包みをサッととりあげた。
 そして、取り上げるのと一挙動で中身を取り出す!
 掲げ持つような姿勢になったアイラの手にあるそれは、一冊の冊子だった。アイラの目が点に、エースの表情が真っ白になる。
「うわ〜…。うわー、うわー…、わー…」
 アイラが目を点にしたまま、その冊子をぱらぱらとめくりはじめた。エースの目の前で。
「すごいな、お前…こんなの見るんだ」
「うわーん、ばかー!」
 ようやくアイラからそれを取り上げて、ビリビリとむしるように細切れにちぎり始めた。
「なーなー、それ、エロ本ってやつだろ?初めて見た!」
「言うなーっ、ちくしょーっ、ちくしょお〜〜っ!」
 アイラが呆気にとられる勢いで悔し泣きを始めたエースは、ベッドに山と積まれたエロ本の残骸を両手で鷲づかみにして、何をするのかと思う隙も与えず一口にほおばってしまった。
 アイラが、そして彼女の背後からミオが呆気にとられているのを余所に、そのままかなり強引に嚥下してしまう。
「ばかーーーーーっ!!」
 痛いはずの足で医務室を飛び出していったエースを呆然と見送っていたアイラの後ろから、ミオがぽつりとつぶやいた。
「治ったみたいで良かったですね」
「…そうなのかなあ」
 アイラがまじまじと見返すと、ミオはいつもの笑顔のまま、こう付け加えた。
「でも、明日便秘にならないか心配だわ…」
 何と返して良いか分からず、アイラは妙なうめき声をあげるのだった。



 夕食を終えたゲドは、何度も首をかしげつつエースの部屋にやってきた。どうやら昼間の劇でケガをしたらしいというので、その見舞いに荷物をいくつか抱えている。
 トントン…。
「エース、いるか」
 返事はなくとも中にいるのは知っていたのでしばらくそのまま待っていると、どこかげっそりと病んだ顔つきになって、出納係の男がドアの隙間からこちらを窺ってきた。
「ケガをしたそうだな」
 エースの反応はない。
「話はアイラから聞いた」
 言い終わるより先にドアが閉まった。ちょっと話の順番をはしょりすぎだ。
「………………」
 自分の鼻先で閉められたドアの前でそのまま立っていると、やがて細くドアが開けられた。
「アイラからの見舞いだ」
 包みを、ドアの隙間から差し入れると、一応ドアの向こうで掴んだ感触があった。
「同じものを探すのは大変だったそうだ」
 とたんに顔に向けて投げつけられた包みをかわすと、もうドアは閉まっていた。そのまましばらく待ってみても、今度はなかなかドアが開かない。
「看護婦のミオからの差し入れもあるんだが」
 ややあって、さらに陰気な顔つきになったエースがより細く開けられたドアの隙間からこちらを窺ってきた。
「便秘の薬だそうだ」
「……」
 しばらく包みをにらみつけていたエースだったが、結局手を伸ばして薬を受け取った。再びドアが閉められる直前にゲドは付け加えた。
「作ったのはアイラだが」
 やっぱり飛んできた薬の瓶を右手で軽く受け止めて、ドアに向かってため息をひとつ。
「いいか、明日にはその部屋から出てこい。それから、差し入れはドアの前に置いておくから気が向いたら受け取れ」
 部屋の中から反応はない。
「包みからは出しておく」
 付け加えて、ゲドはさっさと船室を改造した小隊のたまり場に引き返した。
 船室のドアの前には、所在なげにアイラがうろうろしていて、こちらに気が付いた。
「あっ。…なあ、どうだった?」
「さほど落ち込んではいないようだった」
「そう?良かった!機嫌が直ると良いんだけど」
「奴の部屋の前に差し入れをおいてきたから、後で見てくると良い。無くなっていたら機嫌をなおしたんだろう」
「そうか!ありがと!」
 笑顔になってゲドが来た方向に走り出そうとするアイラを、ゲドは呼び止めた。
「アイラ、…今日の劇なんだが」
「うん」
「なんでセットがいつも壊れるんだ?」
「さあ?あたしもあの劇よくわかんないんだ。…なんかさ、途中っぽいよね?」
 小首をかしげてみせるアイラに、ゲドは軽く眉を持ち上げた。
「…ふむ、そうか」
「ん…?何だ?」
 訊ねるアイラには応えず、ゲドはめずらしくちょっぴり笑顔をみせた。
 ただ、アイラはそれが笑顔だと気づいていなかったようだが。


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12小隊好きの友人への捧げ物です。
フォルテ・パッキンガムが好きなのは自分です。続編決定ありがとうございます。