節分家族1

 …カタタン………タタン……。
 かすかに電車の走る音が聞こえてくる、そんなひっそりとした帰路をイワンは一人歩いていた。
 いつもの通勤鞄に、左手には深夜まで営業しているスーパーのビニール袋。買い物と言うにはささやかなその中身は、から煎りした豆。
 今日は節分の日なのだ。
 道々、元気なかけ声がそここの家から漏れてくるのが、大変微笑ましい。イワンの足も自然と速まる。


「ただいまー!今帰りましたよー!」
 玄関から声をかけると、末っ子の呉だけ出てきた。
「父さん、おかえりなさい」
「呉、ただいま。ヒィッツは?」
「ゲームしてるよ」
「またですか?」
 そのまま居間に行くと、こちらに背を向けて長男のヒィッツがテレビゲームをやっている。イワンには種類がよくわからないが、2、3種類は機種がある。そんなに種類がいるものなのだろうか?しかし子供達はそういったことに敏感で、夢中になってやっている。
「ヒィッツ、父さんにおかえりなさいは?」
「あー、おかえりなさい」
「ヒィッツ!」
「…はいはい。何?」
「ほら、豆ですよ。今日は節分でしょう?父さん着替えてくるから、豆まきをしましょう」
「えー、めんどい。学校でやったし、いいよ」
「良くない。学校でやっても家の分はやってないんですよ」
 下の呉は素直に育っているのだが、ヒィッツカラルドのほうはどうにも生意気盛りで難しい年頃だ。父親として子供に試されているともいえる時期、そんな、どこかの本で読んだ内容を思い出しつつ、イワンはとにかくゲームをやめるよう言って部屋を出た。
「あの、父さん…」
 どこか言いにくそうに呉に声をかけられて、子供に心配をかけてしまった自分に苦笑した。
「ああ、気にしないでください、呉。父さん着替えてくるから、下でお兄ちゃんと待っているんですよ」
「うん…」
 物言いたげな呉に軽く笑って頭をなでてやり、イワンは2階の自室へと上がった。
「やれやれ、生意気はかまわないが、もう少し自分の将来のことを考えてほしいものですねえ」
 そんなことをぼやきつつ、手探りで灯りのスイッチを押す。
 パチン。
 ……カパッ。
「…え?」
 胃がせり上がるような感覚。イワンの足下が急に四角く開き、真っ逆さまに1階に落ちる。
 どうにか着地したそこへ、頭上から何かが滝になって落ちてきた。
「うわっ、何だ!?」
 叫んだ拍子に口にそれが流れ込んでくる。節分の豆だ。
「…ヒィッツカラルド!!」
「うりゃあ!鬼は外!」
 手に持ったバケツの中身をイワンの画面に勢いよくぶちまける。
「ぐわっ!…ヒィッツ!」
「鬼は外ー!」
 下に落ちた豆をつかんで次々に投げてくる。たまらず逃げるイワン。
「ヒィッツ、待ちなさい、待ちなさい!」
「ほら、豆まきするんだろ!付き合ってやるって言ってんだよ!鬼は外!」
「福は内がないでしょう!」
「…福は内〜」
 呉が律儀に部屋にむかって豆をまく。
「ほら、福は足りてるってよ!鬼は外ー!」
 手近につかめる豆が無くなり、ヒィッツは真空刃を放ち始める。パチン、と小気味の良い音でイワンの脇にあった電話が棚ごとまっぷたつになる。
「おい、待て、待ちなさい!」
「ほーら、ちゃんと逃げろよ、鬼〜?」
 パチン、パチン。音がする度に部屋の物が破壊されていく。
「ヒィッツァカルドーーーー!」


「おうおう、隣は盛り上がってるみてえだな」
「兄貴、家も景気よくやりましょうぜ!」
「おう、がってんだぜ鉄牛!」
「鬼はー外!」
「ぶわっ!?」
「そら、景気よくやるよー!鬼はー外!!」
「姐さん勘弁…」
「鬼はー外ォ!」


 居間に層を作るように散乱した大量の豆。本来の半分の長さになったカーテン。足が2本しか無くなったテーブル。
 突然静まりかえった室内に、隣家の声が空々しく響く。
 部屋の一方の壁に、ひと並びに張り付くイワン、呉、そしてヒィッツ。
 彼らに覆い被さるようにのびる、長い、長い影。
「何だ、この部屋は…」
 低い、隣家の揚志よりもさらに低い声。豆の臭いの充満した部屋に、ぷんと新たな臭いが流れる。
 一歩部屋に踏み出し、煙をゆっくりとはきだしてから、
「ヒィッツカラルド」
 いっそう低い声で息子の名を呼んだ。
「…母さん、しし仕事は?」
「片づいた。ヒィッツカラルド」
「…はい」
「これはなんだ?」
 足下に転がっているものを靴先で示す。
「豆、です」
「ほら、今日は節分ですから」
「そうか。じゃあ、あの穴は何だ?」
 葉巻の先で、頭上にぽっかり空いた50センチ四方の黒い□を指す。
「…落とし穴です」
「ふむ。では、最後の質問だ、ヒィッツカラルド。母さんはお前に、家の中で真空刃は使わないように言わなかったか?」
 蒼白になる子供を哀れに思い、勇気を出してイワンが口を開いた。
「ア、アルベルト様。も、もう少し優しく…」
「いつ貴様に物を訊ねた」
 そう言われてはイワンもそれ以上何も言えない。
「はっ…。出過ぎた真似をいたしました」
 すがるような息子の視線に、黙って首を振る。
「どうだ、ヒィッツ。私はお前にそう言わなかったかな?」
「言いました…」
 ようやく聞こえるような、小さな声に、アルベルトはひとつ頷いた。
「…では、貴様はこの私の言いつけを守らなかったことになるな」
 ヒィッツカラルドはもう耐えられず、すでに半べそになっていた呉の隣で泣き出してしまった。
「ヒィッツカラルド、母さんにちゃんとごめんなさいを言うんです」
「お母さん、ごめんなさいーー!!ごめんなさい、ごめんなさーい!!」
 泣き叫びながら謝る我が子を、アルベルトは葉巻が終わるまでただ無言で見下ろしていた。
 そして、最後の煙を吐き出した。
「この部屋を今日中に元通りにしろ。死にたくなかったらな」
「「「はい!」」」
 居間を出て行くアルベルトの背に3人がそろって元気に返事をした。

「ヒィッツ、今日は母さんにちゃんと謝れましたね」
「父さん…。ご、ごめんなさい」
「ハハハ、ちょっと張りきりすぎましたが、これだけやれば鬼もみんな逃げちゃったでしょう」
「そうだよ、兄さん」
「母さんも一緒にやりたかったんでしょうね」
 パチン。
 …ドスン。
 イワンの持っていたちりとりの上に突然、アルベルトが現れた。見上げた頭上に見慣れた黒い四角がもうひとつ。
「ヒィッツカラルド」
 鬼だ。そこに立っているのは紛れもなく鬼だ。
「ぼ、ぼぼくじゃない…」
「か、母さん」
「なんだ呉」
「それ、隣の…戴宗さんがやったの」
「…ほう。そうか」
 アルベルトははじめて笑った。
「母さんはちょっと出かけてくる」
「…いってらっしゃい」
 バタンと玄関のドアが閉まる音が聞こえて、数秒後さらに賑やかになる隣家。残された3人は顔を見合わせて、慌てて片づけを再開するのだった。



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このメンバーで家族で節分でっていう思いつきだけのシリーズ。