ポメラの来た日 9

 ガラガラ、と乱暴に玄関の戸口の開く音。ニケアあたりが帰ってきたのか、とワシールが顔をのぞかせると、そこにいたのはレルカーの住民ではなかった。
「…これは、ザムザくん。いらっしゃい」
「うむ。オロクはいるかな?」
 どこかあせったような早口、普段の有り余る元気は見る影もなく、なんだか様子がおかしい。
「オロクくんは出かけていますよ」
 珍客の弟であるオロクは、出不精の彼にしては珍しく、気晴らしにと温泉に浸かるなどといって出かけてしまっていた。今日には戻るはずではあるが。
「そうか」
 と、ザムザは大きく息を吐く。やはり、疲れている様子。
「…厚かましいことを言ってすまんが、すこし休ませてもらうぞ」
 言うが早いか、その場で靴を脱ぎ始めるが、なんだかフラフラしている。慌てて駆け寄って肩を貸してやる。
「お忙しそうですねぇ」
「出動が重なってシフトが狂ってな。4時間後にまた勤務なのだが、仮眠室も一杯なのだ」
「なるほど…」
 テレビで毎日のように乾燥注意報を呼びかけているのを耳にする。風に乗って、かすかにサイレンの音が聞こえてくることもしばしば。
 ザムザはそのまま共用の座敷の部屋へ。そのまま今にも寝入ってしまいそうな様子だ。
「いま、着替えられそうなものを用意しますよ。それ脱いじゃってください。かけるものも用意しますから」
 ワシールの指示を聞き入れるかどうか迷っているような様子だったが、ばたばたと取り込んであった洗濯物から見繕ったシャツとジャージを抱えて戻ってくると、自分が着ていた衣服をわりと丁寧に脱ぎそろえてあった。

「すまんな」
 どこかもたもたとした仕草でワシールが持ってきた物に手足を通すと、おそらくは持ち主が弟だと悟ったのだろう、ちょっとだけ何か気にしたようだったが、すぐにその場に横になってしまった。
「あ、ちょっと」
 あわてて座布団を差し出すと、かろうじて目を開けてそれを受け取り、頭の下に敷くと、たちまち寝息をたて始めてしまった。
「……」
 しばらく呆然と寝顔を見下ろしていたが、気がついて衣服をハンガーに掛けてやり、毛布もかけてやる。
 ふと寝顔のあちこちに小さな軽いやけどがあることに気がつく。それがなんだかこの男にしては大変珍しい。ひょっとすると、こういう業務の名残りをレルカーに持ち込むことをこれまで慎重に避けていたのではないかと思いつくと、なかなか、その思いつきはありそうな気がしてきた。
(へんな気の使い方をする兄弟だなあ、まったく)
 今日たまたまオロクが留守にしていたのは、彼ら兄弟にとっては良かったのかもしれない。
「なんだ?寝ちまったのか」
 客用の湯呑みを手に、ヴォリガ。限界まで遊び疲れた子供のような寝姿を一瞥して、複雑な顔になる。
「まったく、こいつが兄貴で苦労してるっつー部分じゃ、俺もオロクに同情するぜ」
 口は悪いが面倒見の良い男だ。ぼやく口調もどこか優しかったりする。
「そのままお勤めに戻るみたいですよ」
「ふうん。大変だな」
 ここんとこの天気じゃあな、とヴォリガは窓の外に目をやる。ワシールもまねてみて、おや、となる。ひらひら、と白いものが、いつの間にか灰色一色になった空から控え目に落ち始めていた。
「さっきまで明るかったのになあ」
 ヴォリガも不思議そうに空を見上げてつぶやく。
 気まぐれみたいにい降り始めた雪は、たちまち、予想以上に本格的に降り始めた。



 その日の夜遅く、道路に積もり始めた雪を踏みしめながらオロクは帰宅したのを、起きていたワシールは出迎えた。
「おかえりなさい、大変でしたね」
「ああ、まったく。明日は雪かきだな、これは」
「そうですねえ」
 服に積もった雪を払い落とし、ワシールからタオルを受け取る。
「温泉はどうでした?」
「ああ、良かったよ。おかげでゆっくりできた」
「それは良かった」
「これ…見つからないところに置いておいてくれ」
 少し小声になって、紙袋を取り出してきた。おみやげである。
 そういえば、オロクが出かけるのも珍しいし、こうしておみやげを用意してもらうのもなんだか更に珍しい。
「…たいしたもんじゃないよ」
 ワシールの表情をみて、オロクは困ったようにぼそぼそと付け加えた。
「はい。ありがとう、オロク」
「まったく…珍しいもんでもないだろうに。どいつもこいつも」
 早口でぼやいてから、大きくあくびをして、自室に向かう背中を見送って、ワシールはふと引っかかるものを感じたが。
 とりあえず、もらったおみやげがニケアに見つからないよう一時的に隠さねば、と食堂に向かうと、後を追うようにオロクもやってきた。手には洗濯かご。
「ああ、出しておいてください。明日まとめてやりますよ」
「いや、そういうわけにも…」
 オロクがどこか不自然に言葉を止めたので、やっと包みを仕舞い終えたワシールが洗い場に行ってみると、オロクのパジャマがぽつんと汚れ物用の洗濯かごに残されていた。
(あー…)
 オロクと目があった。戸惑っているワシールにさらにオロクは戸惑ったようだったが。
「…さっき、ついでにあのバカの職場に顔を出してきた」
 どさどさ、と「パジャマなんて見ませんでした」というように洗濯物をかごに移し変えながら、オロク。
「いつ行っても緊張感のない連中だよ、まったく」
「そう…ですか」
 どうやら出動攻勢はひと段落ついたらしい。
「良かったですね」
 別になんにも、と目で返事をするオロクだったが。
「おみやげ、喜んでもらえたんでしょう?」
「…は?」
 この切り替えしは予想外だったようだ。珍しく困りきった顔になってしまったのがおかしくて、ワシールもそれをにこにこと眺めていると、さすがに観念した様子でオロクも少し照れた笑いを見せた。
「まあ、あんたも大げさだと思うけどな」
 それから「おやすみ」と、とってつけたように言い足して、オロクは今度こそ自室に戻ってしまった。
「おやすみなさい」
 返事を返し、ワシールも自室に戻る。明日は雪かきを手伝って、洗濯も早めにはじめるようにしなければ。

 また近いうちに、レルカーがにぎやかになりそうだ。

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ザムザお兄さんは消防士さんです。
だいじょうぶなんだろうか……?いろんな意味で。