節分家族4

 あまり広くもない庭の端から端まで一気に駆け抜けて、幽鬼に向かって斬りかかる。常人では自分に何が起こったのか理解できぬうちに、頭から両断されてしまっているだろう必殺の一太刀を、肩こりを気にして首をかしげる位のまったく緊張感のない動作で、至極あっさりかわされてしまう。


 まあ、いつもの事だ。レッドもこのくらいではめげない。素早く手裏剣を取り出して投擲、しようとした手を掴まれてあっさり転ばされてしまった。
「おまえなあ…たまに帰って来た時ぐらいゆっくりさせてくれよ」
「チクショー、まだ、まだだ〜」
「あーあー、わかったから。靴くらい履かせろ」
 天気の良い日曜日の朝。茶の間で祖父と煎餅をつまんでくつろいでいたところをいきなり襲いかかられたので、幽鬼もレッドも靴下のままだ。
 その足の裏を眺め、
「これ、誰が洗濯すると思ってるんだ?」
「負けた方に決まってるだろ」
「んー」
「貴様、今、笑いやがったな」
「あ?笑ってないって」
「嘘だ!、笑っただろ」
「違うと言っているだろう。ほら」
 と、幽鬼が己の左手のそでを示す。怪訝な表情のレッドだったが、その袖が小さく裂けているのに気付き、とたんに表情を輝かせた。
「おっおい、みろよこれ!」
「ああ、見た」
「やった、俺の勝ちだな!な、兄者!」
「そうだな」
「今日、兄者が洗濯だな!」
「仕方がないな」
「今日は幽鬼が洗濯か」
 祖父が縁側からにこにことこちらを眺めている。
「うん、じっさま!俺、今日は兄者から一本とったんだぜ」
「ほう、腕をあげたなレッド」
「じっさま、飯にしようぜ飯」
「そうじゃな。幽鬼も早く上がりなさい」
「ああ」
 素直に頷いて、2人家の中に戻る。途中、幽鬼はちょっとだけ斬られた袖に目をやり、もったいなかったかなとコッソリ後悔した。


 朝から兄の鼻をあかす事が出来て上機嫌のレッド。自室に戻った兄を追って、部屋の戸口から中を窺っている。
 細く開いた戸口の隙間、幽鬼は机に向かっている。何をしているのかよくわからないが、タタタタという乾いた連続音は、どうやら幽鬼が起こしているようだ。
 さらに目を凝らす。机の上には、ピルケース程の小さな何かを、幽鬼は一心不乱に、人差し指で連打し続けている。その様子は映画で見た通信士が信号を打つ様子によく似ていた。そのあまりに真剣な表情には、普段の猫背でこたつに足を突っ込みだらだらしている幽鬼の面影はなく、レッドにも緊張が走る。
 緊張に、わずかにこわばった足下がほんの小さな音を立てた。幽鬼が顔を上げる。レッドは慌てて天井まで飛び上がる。そこから部屋の中の様子を、再び窺う。後ろ姿の幽鬼は辺りを窺うようにしながら、先ほどまで連打していた小さな何かを引き出しの奥に素早くしまった。
 天井に張り付いたレッドに気づかず、足早に部屋を出て行く幽鬼の足音が十分遠ざかるまで待ってから、さすがの動作で音もなく床に下り、レッドは素早く引き出しの中身を探る。目的のものはアッサリと見つかった。
 大きめの消しゴムくらいのプラスチックの箱に、丸いボタンが2つ。右のボタンの上にA、左も上にBとそれぞれ書かれている。どこかで見た事もあるようなその物体。とりあえずポケットにしまい、素早くその部屋を去る。
 レッドが去ったその部屋の押し入れから、幽鬼がひょっこり顔を出した。それはいつも通りの無表情だった。
 いつもの事だし。


 翌日、学校。
 レッドは早速、幽鬼のしていたとおりに、とりあえずボタンを連打してみた。きっと何かの修行に違いない。幽鬼の真剣な表情が、レッドをそう確信づけていた。力の限り連打を続け、腕がだるくなってきた時。
「おーっす、レッド。何やってるんだ?」
 レッドと怒鬼が登校してきた。
「な、なんでもねえよ!」
 わざわざ学校の教室に持ってきておいて、「なんでもない」もあるまい。
「……」
「なんだよ、みせろよ」
「仕方ねえなあ」
 取り出して見せたそれを見て、レッドと怒鬼は顔を見合わせた。
「おいおいレッド!今時高橋名人はねえだろ!」
「……」
「何わかんねーこと言ってんだよお前ら。修行だよ修行!忍者の修行なんだよ」
 ヒィッツ、怒鬼爆笑。
「お前、それどこで手に入れたんだよ」
「……。兄者の」
 そこまで答えて、さすがにレッドも嫌な予感がしてきた。
「幽鬼兄ちゃん、昨日うちに来てたぜ」
「うそ!あいつ何しに行ってんだよ」
「何って…さんまの、名探偵……!!」
 もう、そこまで言って、ヒィッツカラルドはもう笑って言葉を続けられなくなる。レッドは顔面蒼白になった。
 ファミリーコンピュータ専用ソフト「さんまの名探偵」、アドベンチャーゲームながら数々のミニゲームはどれも難易度が高め、その中でも特に敷居の高いのが横山やすしとのボートレース勝負。一般プレーヤーの間では、自動連射パッドを使うのが常識である。
「すげーよな、幽鬼兄ちゃん。連射パッド使わないでやすしに勝ったんだぜ!マジすげー!」
「……」
 ヒィッツカラルドの横で怒鬼はずっと笑い続けている。
青ざめていたレッドの顔は状況が飲み込めて来るに従って今度は急速に赤くなる。
「クソッ」
 怒りにまかせて練習用パッドを床にたたき付け、急に気が抜けたように、レッドはだらりと机につっぷした。
「あ〜あ、勝ちてえな…」
「……」
「無理って言うな」
「お前が言うなよ」
 ヒィッツカラルドにつっこんで、ため息をひとつ。のろのろと床の練習用パッドを拾い上げ、しみじみ眺めてしまうレッドの表情は、誰が見ても得意そうだった。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 いったい時代はいつなんでしょう。
 前半の幽鬼兄ちゃんとのケンカシーンを読み直していると、まだ幼稚園児だった頃、仲間とつるんで、高校生くらいの知らないにーちゃんズを度々襲っていた時期があった事を思い出します。以来、子供好きの方には本当に頭が上がりません。この過去を明かすのは、実は生まれて初めてです(苦笑)。
 あの時のにーちゃんズ、本当にごめんなさい。ありがとう。こんな場ですが感謝しています。