節分家族5

「呉君、お父様が職員室にいらっしゃっているよ」
 学年主任の中条が授業中の呉の教室に入って来ると、そう言って呉を連れ出した。大人の早足に必死でついて行きながら、彼はサングラスで表情のよく分からない中条の顔を見上げた。中条はそれ以上何も呉に話してくれない。
 2人、何も語らぬまま職員室に着く。
「呉、来ましたね」
 と、イワンは中条に軽く頭を下げた。中条に促されて、呉はイワンと、もう先に職員室に着いていたヒィッツカラルドへと駆け寄った。
「どうしたんですか、父さん」
 父は仕事で出張中のはずだった。兄も異変を察して不安そうだ。その2人に、かがみ込んでイワンがゆっくりと口を開いた。
「ヒィッツカラルド、呉、良く聞きなさい。母さんとサニーが向こうで列車事故に巻き込まれたそうだ」
「……!」
 父は淡々と続ける。
「父さんはこれからロンドンの病院に向かいます。銀鈴姉さんがこれから学校に迎えに来てくれるから、そうしたら、2人ともうちに帰って、待っているように。…ニュースで見ましたが、幸いそう大きな事故ではないようです。大丈夫、2人とも無事ですよ。安心して下さい」
 そう言って2人の肩をたたき、交互に2人の顔をのぞき込む。兄を見て、自分を見て、もう一度兄を見る。ヒィッツカラルドが小さく頷くのを見て、イワンも頷く。そして教員達に挨拶をすると、イワンは足早に職員室を後にしてしまった。
 残された子供2人は父が出て行った扉を見送って、しばらくそのまま立ちつくしていたが、沈黙に耐えられなくなって、呉はつい兄を呼んでしまった。
「兄さん…」
「なんだよ、大丈夫だって父さんも言ってただろ!心配する事ないって」
「…うん」
 励ますヒィッツカラルドの顔を、しかし呉は見ることができなかった。


 あれから2年。
 サニーは向こうの学校に通うことになったとだけ聞かされてる。以来、両親はサニーのことについて何も語らない。ヒィッツカラルドと呉も、あえて訊ねはしなかった。
 そんな、ある日。
 関東地方を何年かぶりの大雪が見舞った。薄暗い部屋の中、ヒィッツカラルド、呉、それと遊びに来ていた銀鈴の3人はこたつから上半身だけを出し、あまりの寒さに震えていた。こたつの電源は入っていない。大雪で停電しているためだ。
「まあ、こたつだけでも、あるだけマシよねえ…」
 ぼやきながら、こたつから右手を出してルーレットを回す。
 ジャラララー。
 白い矢印は6を指して止まった。
「1、2、3…6、と。200万ドルの豪邸を購入ー!?そんなお金、ないわよ!」
「姉ちゃん、貸してやろうか?」
「いりません!とほほ、また借金…」
 銀鈴は心底落ち込んだ様子で、ぶらさがったちょうちん涙は顔の下で器用に揺れている。
 銀鈴がボードの脇に並んだ紙幣をいくつか山に戻し、続いてヒィッツカラルドがルーレットに手を伸ばす。
「次、オレねー!…出版した小説がベストセラーに。5万ドル銀行から、みんなから500ドルずつ」
「はああ〜!?」
 ちょうちん涙の振れるスピードがやたらとせわしなくなる。変に器用な銀鈴に感心しつつ、呉は兄に尋ねた。
「兄さん」
「なんだよ、呉」
「今日って、父さんは帰ってくるんですよね?」
「ああ、そういやそうだっけ」
「アンタって子は…」
 両親共に仕事で家を留守にしがちな家ではあるが、母親に比べて父親は割と良く家に戻る方だった。
 実のところ、2人共に何の仕事をしているのか、呉はよく知らない。どうしてかと言えば、呉の問いに2人とも真顔で
「秘密結社で世界征服活動をしている」
 と答えるのだからたまらない。そういえば隣家の戴宗も、
「国際警察機構で世界の平和のために戦っている」
 と言ってはばからない。そのあたり、似ていると言えば似ているのかも知れない。特にアルベルトと戴宗は否定するだろうけれど。
「あーあ、あったか〜いお飲物が飲みたいナー…」
 ぽそりとつぶやいた銀鈴。
「物置にカセットコンロがあったと思いましたが。ねえ、兄さん」
「そっか。じゃ、オレ、コーヒーね」
「『オレ、コーヒーね』じゃ、ないでっしょうがっ」
「うわっちちち!いてえよ、いてー!」
 耳をつかまれて、こたつから引っ張り出されるヒィッツカラルド。
「はい、呉君。みんなでいきましょうね」
「え…別に僕一人で」
「呉ぉ、君?」
「…はい、みんなで」
 一歩下がって頷く呉に、ヒィッツカラルドがそっと耳打ち。
「さすが…の妹」
 兄の言葉に頷く呉。
「何か言ったかなあ?ヒィッツカラルド君、呉君?」
「なんでも!なんでも!なんにも!」
「何も言ってません!言ってません!」
「な、呉。ほら、物置だろ」
「うん!も物置、にいかなきゃ」
「おう」
 2人頷き合って、脱兎のごとく走り出す。どちらも負けず劣らずはしっこい。
「あ!ちょっと〜?」
 駆けだした2人を追って、銀鈴も駆けだした。


 物置は洗面所からサンダルに履き替えて行けるようになっていた。つもった雪の上に足跡を残しながら、3人は物置の戸を開ける。懐中電灯で中を照らすと、中はかなり整然としている。それをヒィッツカラルドと銀鈴は片っ端から荒らしていく。
「こりゃ、両親の性格が出てるわねえ…」
「銀鈴姉さん、そこは夏物がしまってあるところですよ」
「アラ、ほんと」
 銀鈴が引っ張り出して広げたのは、シャチのビニールボート。
「兄さん、そっちも違うよ」
「え?そうだっけ?」
 ガタンガタン、バタン。いかにもガラクタといった品々をあわてて元の場所におしこむヒィッツカラルドの手が、ふと止まる。
「なあ、呉!これ、みろよ」
「え?」
 ヒィツカラルドが手に持っているのは、女の子もののカンペンケース(今は無いのか!?)。フタを開くと、内側にプリクラシールが何枚か張ってあった。そこに、ある人物を見つけて呉の顔がほころんだ。
「ふーん、良く撮れてるじゃない」
 銀鈴ものぞき込んできた。
「だろ?ホラ、呉にあげるよ」
「いや、渡されても」
「まあまあ、持っておきなさいよ」
「ちょっと、姉さんまで」
 困惑顔の呉をはさんで、妙に結託を見せる2人。呉はしかたなく冷たいカンペンケースを懐にしまい込んだ。余計に寒い。
 それにしても、見かけないと思ったら妹の荷物はこんな所に押し込んであったのか。捨てられていなかったのは嬉しかったが、やはり寂しく感じてしまう。あれ以来、彼女のことに触れる者はこの家にいない。
 ぽんと肩に手を置かれて、顔を上げると銀鈴がにこりと笑った。
「大丈夫、ちょっと入院が長引いてるのかもしれないけど、サニーちゃんはきっと無事よ」
「…はい、そうですね、きっと」
「案外本当に学校に通ってんじゃねえの」
「そうね」
「…それより、2人とも、コンロ探さないと」
 うっかり号泣しそうになるのを扇子でかくしながら、呉。
「これだろ?」
 こともなげに取り出された箱の側面には、カセットコンロのイラストが描かれている。
「…はい、間違いありません」
「じゃ、部屋に戻りましょうか!寒い、寒い」
 なんだか釈然としないまま、2人に引きずられるように呉は物置を後にした。
「寒いんならそのカッコウ何とかしろよな、姉ちゃん」
「女の子はおしゃれのためには寒さくらい我慢出来なきゃダメなのよ。セルバン子さんもそう言ってたわ」
「「女の子!?」」
 ボグッ。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 飛行機を乗り継いで、イワンはロンドンの国立病院に着いた。飛行機のなかでも列車事故のニュースは流れており、映像では、脱線した客車が横に投げ出されていた。アルベルトが訓練を受けた人間とはいえ、もしその車両に乗り合わせていたらと考えるとさすがに気が気でなくなる。
 しかも、アルベルトと一緒にいたサニーは普通の子供なのだ。いや、むしろ人より病弱で、丁度つてをたどってこちらの医者を紹介してもらいに行くところだったというのに。
 マスコミを避けつつ、どうにか列車事故で特設された臨時受付を見つけた。
「すみません、こちらにアルベルトとサニーという親子が運ばれていると聞いたのですが」
「ちょっとお待ちください…」
 ちょっとどころでなく待たされた後、受付の女性に告げられた病室の前に立つイワン。ネームプレートには、アルベルトの名前だけが書かれていた。いぶかしみながらドアをノックする。
「誰だ」
 その声に一瞬こみあげてきたイワンだったが、それを押さえて答えた。
「アルベルト様、イワンです」
「入れ」
「失礼します」
 広い病室に、ベッドがひとつ。そこにアルベルトが横たわっていた。片足に包帯を巻かれて上から吊されているようだが、大きな怪我らしいものは見あたらない。
「ご無事でしたか、アルベルト様」
「うむ。心配をかけたな」
「…いえ」
 ひとまずは安心したイワンだったが、喜んでばかりもいられない。
「アルベルト様」
「サニーのことか」
「…はい、こちらにいると伺ったのですが」
「イワン、サニーは…」
 めずらしく言いよどむアルベルト。
「まさか…まさか、アルベルト様!?」
「違う、勘違いするなイワン。だが、大変なことになった…」
「どういう意味です、アルベルト様」
「貴様、おかしいとはおもわんのか」
 そういって自分の怪我を指し示すアルベルト。その意味を量りかね、首をかしげていたイワンがある可能性に思い当たった。
「まさか…サニーは…!」


 飲み物と、わずかな火でどうにか暖を取った3人だったが、そろそろ日も暮れ、寒さもこれからが本番だろう。
「ううう…電気、まだかなあ」
「いいかげん死にそう…」
 外はまだ雪がちらついている。復旧作業は遅れているのだろうか。
「ん?」
 急に呉が顔を上げた。
「何?」
「物音がしなかった?気のせいかな…」
「オレは聞こえなかったけど」
 ゴト。
「!」
 こんどは3人とも聞こえた。
「何かしら…行ってみましょう」
 立ち上がった銀鈴に、ひっついていく子供2人。廊下に出て、耳を澄ましていると。
 ザッ。ゴト、ゴソゴソ…。
「どうやら、玄関ね…」
「何だろう」
「呉はオレの後ろにいるんだぞ」
 そう言うヒィッツカラルドは銀鈴の後ろにいて。3人、ダンゴ状態で玄関口にそろそろとやってきた。どうやら何者かが玄関に積もった雪をどかしつつ、玄関から侵入を試みているようだ。
 緊張した面持ちで、銀鈴がチャイナの中から銃を取り出す。鼻先に突きつけられて鈍く光るそれを見て、ヒィッツカラルドはさすがに慌てた。
「わっわわっ、なんだよこれ!」
「決まってるでしょ、護身用よ」
「普通に持っててイイものじゃないだろ!」
「私はもってても良いのよ」
「なんでだよ!」
「おーい、誰かいるんですか?」
 聞き覚えのある声に、きょとんとする3人。父の帰宅をすっかり忘れていた。
「雪が積もってて…そっちから押してもらえませんか?ちょっと?」
「あ。はーい、義兄さん」
 銃を元の所にしまい、慌てて玄関に駆け寄る銀鈴。押したり引っ張ったりして、ようやく人ひとり入ってこれる程度の隙間があいた。
「ちょうつがいが凍ってたんですね。それにしても、なぜ灯りをつけないんですか?」
 作業している間に積もったのだろう、帽子をはたいて雪を落としつつ、イワンは不思議そうに訊ねた。
「今朝からずっと停電なんだよ」
「隣は付いてますよ?」
「戴宗さんがまた発電させられているのでは?」
 いいながら、その手があったかと今更思い至る呉。照れ隠しに出した扇子で表情をごまかす。
「いや、ホラ、街灯も…」
「あれ?本当だ」
 外をのぞこうと身を乗り出した銀鈴の鼻先に、ぬっと人影が現れた。
「ひとまず中に入れてくれ。寒くてかなわん」
「お父様!」
「じいちゃん!」
 イワンの後ろに、一回り以上も大きな人影が立っていたというのに、3人とも、それまで全く気が付かなかった。
 祖父の樊瑞だ。
「ひどいな、これは…外と気温が全くかわらん」
 こちらもやはり、マントについた雪をはたきながら入ってきた。
「ええ、全く。…どれ、これかな?」
 イワンが玄関にあったブレーカーのスイッチを上げると、あっけなく灯りが付いた。
「あ、あれえ…」
 顔を見合わせる3人。
「まったく、お前が付いていてコレか。甥を殺すつもりか?」
「あはは、そういう訳では…」
「まあ良い。はやく家に上げてくれ。…お前も寒かっただろう」
 そう言って、樊瑞は胸の前で閉じていたマントをはだけた。なんと、そこには。
 そこにいたのは!
「「「……!!!」」」
「なんだ、3人とも固まって」
「さあ…?」
 首をかしげ、イワンは樊瑞のマントに隠れていた自分の娘をのぞき込んだ。
「久しぶりのおうちはどうですか?サニー」
 彼女ははにかむようにして祖父の後ろに隠れてしまった。
「おやおや」
「イワン、人の足下で遊ぶな」
「これは、樊瑞様。失礼しました」
「おい、チョット待った!」
 一番先に我に返ったのは、ヒィツカラルドだった。
「なんで、サニーが…」
「あちらの学校を飛び級で卒業したからですよ。こんなに早く帰れるとは私も思っていませんでしたよ」
 サニーの頭をなでまくるイワンに、あきれ顔の樊瑞。
「学校!?」
「はあ…?前に言ったでしょ…」
「サニーちゃん、無事だったの!?」
 ひときわ大きな声でイワンの言葉を遮ったのが銀鈴。イワンからひったくるようにサニーを引き寄せ、まじまじと全身に穴があくほど眺め始めた。
「あの…銀鈴ねえさま?」
「ほ、本物だ!本物よこの子」
「あたりまえじゃないか。なにを言ってるんですか銀鈴…」
「あんたは黙ってなさい」
「ムギュっ」
 銀鈴が片腕を突き出して強引にイワンの口をふさいでしまう。
「良かった〜、お姉ちゃん向こうで事故に遭ったって聞いて、ずっと心配してたのよ。このハゲ親父ったら、ろくに説明しなかったんだもの」
 銀鈴の言葉に激しく頷く子供2人。樊瑞はちょっと方眉を上げて、娘に口元を鷲づかみにされているイワンに目をやるが、特に何も言わなかった。
「サニー…」
 ここでようやく、兄弟2人がおずおずと妹のところにやってきた。
「サニー、…無事だったんですね」
「呉兄さま」
 困惑顔のサニーに、ようやく笑みが戻った。
 まさか本人を目の前に死んだつもりだったりもした、とは言うに言えず、ひさびさに自分の名前を呼ばれてとりあえず幸せに浸ってしまう呉。
「さ、サニー、むこうで寂しかったろ?」
 つい似合わないことを言ってしまうヒィッツカラルド。
「いいえ、母様達から、ヒィ兄さまたちのことは聞いていましたから」
 まだ幼かったサニーはヒィッツカラルドと言えなかったため、「ヒィ兄さま」と呼んでいたのだ。
「そっか!お、おれは平気だったけどさ、呉の奴が寂しがってたんだぜ。な、呉」
「ちょっと、兄さん?兄さんの方こそ…」
「ほらほら。ここじゃ寒いだろう。中に入ってからにしなさい。おいで」
 樊瑞がさっさと居間に向かうのを、子供達が追いかけていき、そして玄関にはイワンと銀鈴が残された。
 いい加減解放してほしいとイワンが涙目で訴えると、そうっと銀鈴はその手を離し、…ほっとしたのもつかの間、力任せに両手で彼の衿を掴んでつるし上げた。
「ちょっと、銀鈴!?」
 イワンの声は誰が聞いても半泣き。
「このバカ!」
 ガツッ。銀鈴、渾身の頭突き。
「あんな」
 ガツッ。
「まぎらわしい」
 ガツッ。
「言い方」
 ガツッ。
「されたら」
 ガツッ。
「誰だって」
 ガツッ。
「何かあったと」
 ガツッ。
「思うでしょこのバカ親父!!!」
 ドガッ!!大きくのけぞって、イワンはマット(玄関マット)に沈んだ。
 そこにヒィッツカラルドと呉がわざわざ居間から駆け寄ってきて、3人で固く握手、大きく頷きあった。
「みんな、いまお茶でもいれるから。こっちにおいで」
「はーい」
「お父様、私がやりますわ」
「いいから銀鈴は座っていなさい」
 居間に戻った銀鈴が樊瑞とポットを奪い合っているのを余所に、子供達は久しぶりの再会にはしゃいでいた。
「なあなあ、むこうでどんなこと勉強してたんだ?」
「いろいろ…です。その、治療しながらでしたから」
「そっかあ、そうだよなあ。偉いなあ」
「もう体は良いのですか?」
「はい。もうすっかり良くなりました」
「おまえさ、サニーの前で兄貴ぶるのやめろよな」
「な、何を言うんですか、兄さんの方こそ…」
「ホラ、けんかしないの!」
 あれこれと質問攻め似合うサニーだったが、ようやく会えた兄たちにも魔法を習っていたことは言えないのだ。
 それでもとりあえず、再会を果たした兄妹3人は幸せに浸っていた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ど…どうぶつのおいしゃさん……。

でもってロンドンで魔法使いで学校で。