節分家族6

 いつも通りの朝。
 目が覚めて、カーテンの隙間から差し込む光にしみじみと季節を感じたりしながら、まだ鳴る前の目覚ましを止めておく。
「おや?」
 いつも目覚ましが鳴る前に目を覚ますイワンだが、今日はいつもよりもやや早く目覚めたようだ。
(…?少し疲れが残っているのかな?)
 まあ理由など特に何もないのだろうが。それにしても、冬に比べるとだいぶ朝が明るくなってきた。
(今日も天気が良いようだなあ)
 ズボンとシャツを身につけ、スリッパを履き、1階に降りてくると、ふわりと良い香りがした。キッチンにやってきたイワンは、予想通りにアルベルトが葉巻をふかしているのを見つけた。
「アルベルト様。お帰りでしたか。気づきませんでした」
 今帰ってきたばかりらしい。スーツは多少しわになっているようだから、あとで吊しておいた方が良いだろう。
「イワン、朝食を頼む」
「はい、かしこまりました」
 ワイシャツの上に割烹着を着込んだイワンは、トーストをセットし、卵を溶いたり鍋を火に掛けたり、手際よくアルベルトと後から起きてくる子供達の分の朝食を支度していく。
 トーストにマーガリンを添えてアルベルトの前に置き、鍋のみそ汁のところにイワンが戻ったところで、アルベルトはイワンを呼んだ。
「イワン」
「は、何でしょう」
「いい、そのまま聞け」
 こちらにやってこようとするイワンを制して、
「今日から儂は貴様の娘と言うことになった」
 そう言って、いかにも不機嫌に煙を吐き出した。
 しばらく何を言われたか良く分からなかったイワンだったが、しばらくおいたところでやっぱり良く分からなかったらしい。
「それは、一体…どういうことでございますか?」
「儂が貴様の娘という設定になったと言っている」
 2回言わされたアルベルトはあからさまに不機嫌だ。
「設定、って、あの…。いったいどういう訳で」
「…ビッグ・ファイアの意志だ」
 その言葉を聞いて、イワンは呆けたような顔から一気に緊張した表情に転じた。知らずに、ゆっくり唾を飲み込む。
「ビッグ・ファイアの…。かしこまりました」
 一礼して、朝食の用意の続きに取りかかる。サラダとみそ汁を食卓に運んだところで、イワンは再度呼び止められた。
「イワン」
「…はい」
 アルベルトに睨め付けられて、ほとんど死を覚悟しながらアルベルトの言葉の続きを待った。
「貴様は。儂の父親ということになるな」
「はい。アルベルト様は、私の娘でございます」
 声に何かを混じらせながら復唱するイワン。
「うむ。…さて、イワン。貴様は自分の娘に対して何か言わねばならないことがあるのではないか?」
「わたくしが…、でございますか?」
「そうだ」
 イワンは困ったようにアルベルトのくゆらせる煙を眺めていたが、意を決して口を開いた。
「アルベルト様…」
 ジロリ、とアルベルトが一瞥をくれる。イワンが泣きそうになりながら言葉をつまらせていると、2階で子供達が起き出してきた気配がした。
「イワン、早くせんとガキどもが降りてくるぞ」
「あ、アルベルト様…」
 イワンは再度意を決した。みそ汁をよそったお玉を握りしめて、必死で眉をつり上げる。
「…アルベルト!食事の時には葉巻はやめなさい!行儀が悪いですよ!」
「……」
 アルベルトは、感心したように片方の眉を上げて見せた。
 イワンは多少ひるんだ様子だったが、更にアルベルトを睨み付ける。
「それから、自分の、お、弟たちをガキなんて言うものではありません…!」
 着替えたばかりのシャツがすでに汗で湿っているのを感じながら、イワンはそれだけ言ってガックリと肩を落としてうつむいた。
(もはや、これまでだな──)
 今日の夕刊には「早朝の惨事、娘が父親を惨殺」そんな見出しが付くかも知れない。いや、そんな事件は全くなかったことになるかも知れないがしかし、心配なのは子供達だ。その中にアルベルトも含まれていることになると多少は複雑な心境ではあるが、こうなった以上は父親として心配の種ではある。
(仕方がないとはいえ、ここで投げ出してしまうのは父親として無責任なのかもしれないなあ)
 そう思うと、申し訳ないような気持ちもイワンの胸をよぎるのだった。父親らしいことはたった一度の説教だけ。詫びるような気持ちで衝撃波が飛んでくるのを待っていたイワンだったが、それがなかなかやってこない。
 と。
「ふ、ふふ──」
 ぱん、ぱんと軽い拍手とともに低い声。きょとんと顔を上げると、アルベルトが満足そうに笑っていた。
「なかなか良かったぞ、イワン」
「……?」
 訳が分からない。だが身体の方は勝手に反応して、へたりと膝がくずれた。
 軽い足跡が、階段を降りてこちらに近づいてくる。
「おはようございます」
呉用…」
 ぼんやりと、膝立ちのままイワンが呉へと首を巡らせる。
「あ、母さんもおはようございます」
「うむ。おはよう」
 アルベルトは挨拶を返すと、トーストにかじりつき始めた。
(…あれ?今、呉は母さんと呼ばなかったか)
 混乱しながらアルベルトを窺うが、彼はこちらに構いつける気はないらしい。
「父さん、どうされたんですか?」
 床にへたり込んでいるイワンを呉が不思議そうに見ている。
「は、はは、ちょっと転んだだけですよ。大丈夫。いまトーストを用意するから、先に、アルベルト様とサラダを食べていなさい」
 呉は少し首をかしげたようだったが、父親の表情が引きつっているのは察したらしい。
「…いえ、自分でやりますから大丈夫ですよ」
 踏み台を用意して、父親に負けない手際の良さで自分の食事を用意し始める呉をしばらく目で追っていたイワン。
「呉、コーヒーが出来ていたら一緒に持ってきてくれ」
 自分が呼ばれたようにイワンも振り返る。
「はい、母さん」
 イワンの背後で呉が返事をした。
(「母さん」)
 まるで初めてその言葉を聞いたように、頭の中で意味をなさない。その言葉を理解しようと何度も頭の中で繰り返していると。
「…どうした、イワン。まだ親子ごっこがやりたいのなら、儂はかまわんぞ」
 そう言ってアルベルトはにやりと嗤った。
ごっこ
 更にガックリと落ち込んで、両腕を床についてイワンはもう一度。
ごっこ…!」
「父さん?」
 呼ばれてぎくりと顔を上げると、呉だった。
「あ、ああ…」
 無意識にシャツのボタンをひとつはずして、イワンはゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう、呉。それでは…母さんと一緒に朝食を頂きましょうか」
「はい!」
 ようやく呉も笑って、イワンと一緒に食卓についた。
「いただきます」
「いただきます」


 朝食を食べ終えたが、ヒィッツカラルドは未だに起きる気配がない。
「呉、ちょっとヒィッツカラルドを見てきてもらえませんか」
「はい、父さん」
 呉が階段を上っていく足音を聞きながら、イワンはコーヒーのお代わりを用意する。
「アルベルト様」
「…なんだ」
「ビッグ・ファイアのご意志とあれば従いますが、私はやはり、アルベルト様の父親であるよりは、まずアルベルト様の副官でありたいと願いますよ」
「そうか」
 短い返事の中に、多少なりとも満足の響きが混じっていたように感じたのは、イワンの思い過ごしかも知れなかったが。
「はい!」
 イワンは笑顔で頷いた。
 アルベルトはもはやイワンに感心がない様子で、イワンの持ってきたおかわりのコーヒーカップを手に取った。
 2階からいつも通りの賑やかな物音が聞こえ始めてようやく、イワンも緊張が解けたようだ。窓の外からは、だいぶ明るくなった日差しがレースのカーテン越しに差し込んで、食器を白く染めている。
(もう少ししたら、サニーも起こしてやらなければ…)
 そんなことをつらつらと考えながらイワンもコーヒーカップを手に取る。イワンのコーヒーには牛乳がタップリ入れてある。朝からブラックで飲むと胃が痛くなる質なのだ。
 一口、二口と口にして、そこではたと昨日牛乳を切らしていたことを思い出した。
「…あれ?」
「ああ。切れていたので買い足しておいたぞ」
「……!」
 イワンは雷に打たれた人のようにしばらく硬直していたが。
「あ…ありがとうございます…う、ううう」
 何か急にこみ上げてきたらしくむせび泣き始めたイワンに、アルベルトはいまいましそうに舌打ちをして立ち上がった。
「イワン、儂は向こうで新聞を読んでくるぞ」
「は…」
 後から後から涙が出てきて止まらないイワンは、よく見えないのかアルベルトの隣辺りを向いて頷いた。
 アルベルトはさらにうんざりした顔になったが、付け加えた。
「もう葉巻はかまわんだろうな」
「は…!勿論でございます」
 もはやコーヒーを飲むどころではなさそうで、背を向けたアルベルトがちらりと振り返ったのに、イワンは全く気が付かなかったようだったが。

 ──まあ、それはそれで良かったのかも知れない。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 そんなわけでだいぶ突っ走り気味一人イワン祭、
「まあ、そんなことやってみる気は無いけどね」
 と思いつつ書いた自分のコメントの一文が後から気になってきて、結局アルベルトに頼み込んで小コント的にやってみてもらいました。
 本編中の「もういい、ここで降りる」 は何度聞いても妙に可愛らしい。反抗期の娘さんのような強い口調じゃないんだけど、「なんかもーいいって気分になった」小娘がちょっと面倒くさそうに父親の車から降りちゃいそうな口調なんですなあ。
 そして今更なことばかり改めて言うのですが、戦闘中のキーとアルベルトと会話してるときのキーが全然違うのは多分監督の指示なんでしょうが、グッジョブですよ(・3<)b