髪型の謎を追え!

 普段通りの午前中。あてがわれた執務室で、サロメはいつも通り、書類の決裁に追われていた。
 部下からの報告書に目を通し、自分で済ませられるものについては指示を与え、上に報告が必要なものについては改めて報告書を起こし、些末事から騎士団そのものに関わるような用件まで、とにかく全てを彼が自ら目を通して把握する立場にあり、立場でなくても結局そう言う仕事をするハメになるタイプだった。
 実際有能であるから、余計にあれもこれもと仕事が回ってくる。
 そして、この有様だ。
 決済の済んだ書類を抱えて退出する部下と入れ違いに入ってきた騎士が、サロメに来訪者があると告げた。
「私にですか」
 まだ若い騎士は、落ち着こうとするようにひとつ息をして、こう続けた。
「探偵を自称する男が…」
「探偵」
 繰り返す声がちょっとだけ裏返った。
「いちおう、お知らせした方がよいかと思いまして…。追い返してよろしいでしょうか」
 いっそ追い返してくれ。余程そう言おうかと思ったのだが、残念なことにサロメにはその「探偵」を名乗る人物の予想が付いてしまったのだった。
「待ちなさい…その人を連れてきてください」
 騎士はビックリしたようだったが、了解しましたと一言答えて、すぐにその男を連れてきた。
 格子柄のコート、妙な帽子、口の端に加えたパイプ。はっきりいってあからさまに怪しい。いくら探偵とはいえ、こんな人物は小説の中にしかいないだろう。
「お目にかかれて光栄です、サロメ卿」
 帽子を取って意外と優雅に礼をして見せた探偵には取り合わず、サロメは隣で困っている騎士の方に話しかけた。
「すみませんが、しばらく席を外してもらえますか」
 若い騎士はたいそう驚いた顔をしたが、余計なことは言わずにサロメの部屋から退出していった。
 それを見送って、探偵を名乗る男がおどけた表情になる。
「なかなか有望な騎士君じゃないか、なあ。お前に似てるよ」
 その言葉に、サロメは、あからさまに嫌で嫌でたまらないという顔になった。
「それはどうも」
「うっわー冷て。なんだよサっちん。この素敵コスチュームを着てみたいのか?」
「いいえ、結構です」
「そうかー?本当に?なあ。いいのかー?」
「結構ですと申しましたでしょう」
「ちえ、そうなの」
 子供よろしく口をとがらせ、ようやくあきらめたらしい探偵男に、サロメも何かをあきらめている口調で声を掛けた。
「あー、ジンバ殿。用件は書簡で済ませて下さいと、いつも申し上げておるのですがね」
「俺は大事な用件は直に伝えるようにしててね」
「大事な用件、ですか?」
 ぴくりと反応を見せたサロメに、男は気づいた風でもなく。
「なあ、なあ、この格好ナカナカ良いだろ?まさか、俺がカラヤの人間だとは思ってもみないだろうなあ」
「はあ」
「ふっふっふ、実はこれ、結構高かったんだぞ〜。…あ、もちろん、お前にも買ってきてあるから」
 脱力ついでに、調子よく渡された包みを惰性で受け取ってしまう。
「あの…」
 大事な話って ?これ?
「はは、気にするな!経費は勿論、お前の名前で請求出してあるからな」
「あんた、うちの経費をこんな事に使ってるんですか!」
「照れるな、似合うぞ?」
 一瞬目の前の男と同じ格好をした自分をうっかり想像してしまい、慌ててかぶりをふったところに、帽子を頭に乗せられる。
「うむ。似合う似合う」
「ですから!」
「おっ。おまえ前髪のびてきたんじゃないか?」
 まったく人の話を聞いていない。
「なんかもう、どうでも良くなってきた…」
 虚ろにひとりごちると、ジンバはいかにも呑気に笑った。
「そうか、じゃあまた切ってやろうか」
 やっぱり聞いていない。
「遠慮します」
 うっかり机上で船をこいでいた隙に死ぬほど短く前髪を切られたのは、つい2ヶ月前のことだ。ただでさえ人より髪の伸びるのが遅いのだからたまったものではなかった。思い出すと今でも目頭が熱くなったり前後不覚になったりする。
 そんなサロメの葛藤を知ってか知らずか、ジンバはマイペースに続ける。
「サっちん、俺は思うんだがな、お前もお年頃だ。いい加減その髪型はどうかと思うぞ。だいいち、今時の従卒だってそんな髪型にしていないだろう」
 と、ここで言葉を切って考え込み、そうだとばかりに身を乗り出す。
「な、な、俺とおそろいによう。うん、いいね。そうしよう、なあ。自慢するワケじゃないが、この髪型は世界で一番カッコイイと俺は思っている。だからこそ、お前に…」
「あんたとおそろいなんて、死、ん、で、もっ、嫌ですよ」
「なんだ、サっちん?何を怒ってるかな。ボカァ分からないよ」
「も、もういい加減やめて下さい…とりあえずその呼び方だけでも」
 血を吐く思いでようやくそれだけいうと、サロメは疲れ果ててソファに沈み込んだ。ジンバもならって向かい側に腰を下ろした。
「やれやれ、お前も相変わらずだな」
「こっちのセリフですよ」
「久しぶりにお前の茶が飲みたい」
「…はいはい、お待ち下さい」


 満足そうにカップから口を離したジンバは、しみじみとつぶやいた。
「うまいな」
 それを聞いて、ようやくサロメもうち解けた表情になる。
「こればかりは、手紙ですまんからな」
 そのためにわざわざけったいな扮装までしてきたのか、と胸中でだけつっこんだ。
「そう言っていただけると光栄です」
「騎士が嫌になったら喫茶店でもやるといい。常連になってやるよ」
 そういってちらりと机の上の書類の山に目をやり、
「相変わらず面倒ばかり押しつけられているみたいじゃないか」
 ジンバがいつ訊ねてきても、ここの机は書類の山に埋もれるような具合だ。
「一番面倒を押しつけてくる人がなにをおっしゃいますか」
「人聞きが悪い、信頼されていると言ってくれ」
 否定はしないらしい。
「はいはい…。そうそう、例の詰め所のトイレ、直しておきましたよ」
「そうか、それは良かった。トイレぐらい不自由なく使わせてやれないとな」
「はい。気を付けます」
 生真面目に返事をするサロメに、ジンバはちょっと笑った。初めて会った時から、この若者はかわらずにこの調子だなと、つくづく微笑ましく思うのだ。
 ただ、会った時と髪型まで変わらないのはどうかと思うのだが…。
「今日はまた、何で探偵なんですか?」
「ああ。今な、都市同盟の方でこういう主人公が活躍する探偵小説が流行ってて…」
「今はデュナン国ですよ」
 ああ、そうだったと頭をかくジンバ。
「わかってはいるんだが…つい、クセでな」
「はい」
「久しぶりに、あっちのほうに行ってきたんだ」
 どうやらあの探偵コスチュームは土産代わりのつもりだったらしい。
 楽団の歌を聴いただの、レストランでうまい飯を食べただの、そんな話を愉しんで聞いていたサロメだったが。
「でな、ティントの建国記念祭に出てきたんだ」
 その一言に、ぎくりと表情を険しくした。ティントの記念建国祭、不吉に過ぎる単語だった。
 のんびりした口調でジンバ氏は続ける。
ガラハドの奴の顔でも、のぞいて来ようかと思ってな」
「それで…、ガラハド様のお顔をのぞいて、そのまま帰られたんですよね?」
「ああ」
 この言葉に安心するほど、サロメもうかつではない。
「では、ガラハド様が連れていらした、クリス殿に声をおかけになさったりは、していませんよね?」
 問われて、ジンバはわざとらしい笑顔で手を振った。
「おいおい、なにを言ってるんだよサロメ君…」
「かけたんですね」
「あのね、サロメ君」
「かけましたね」
「だから」
「…ジンバ殿」
「スマン、サロメ。俺が悪かった」
 立派な体を器用に小さくすくませるジンバを、サロメは容赦なくにらみつける。
「あ、あなたという人は〜…」
 もはや彼の心の中にしか存在しないワイアット騎士団長にサロメは語りかけた。
 ワイアット様、私はこの親バカをどう始末すればよいですか。
 ワイアットは笑うだけで答えてはくれない。
 そしてジンバはもじもじと言い訳しだした。
「いや、だってさあ…あんまり美人だったから…。お前だってそう思うだろ?」
「それは、まあ…」
「だろ、だろ?俺が言うのも何だが、いやー、ホント、あんな美人見たことないな!ていうか存在しないだろ!」
「それが声を掛けた理由ですか」
「サ、サロメ君ったら、ノリ突っ込みまで使えるようになったのね」
「あなたみたいに言っても聞かない人には、こちらもいろいろと手段が必要になりますので」
 あはは、と乾いた笑いに頭痛を覚えながら、ため息混じりでひとりごちた。
「あの騒ぎは、あなたが原因だったんですか…」
 先月のはじめ、ティント共和国で催された建国記念祭に、ゼクセン騎士団より騎士団長のガラハドが招かれた。そして、ガラハドの副官を務めていたクリス・ライトフェローもその席に出席していた。
 事の始まりは、クリスが妙な男にしつこく声をかけられ、いい加減にしろと腕を振った拍子に卓上の皿をひっくり返し、それが運悪く大統領令嬢にかかってしまった事による。最終的にはとっくみあいのケンカにまで発展したそうだが、どういうわけだかティント側からの苦情などはいっさい無かった。
 当人に事後に訊ねた時には、
「ああ、話せば分かる奴だったから」
 と、妙にさばさばと話していたものだが…。
「どこの世界に、自分の娘を誘う父親がいるんですか!」
「ここ、ここだな!」
 ギラリ。サロメの眼光にジンバは再びかしこまった。
「おっしゃるとおりです」
「それでまた…性懲りもなくこんな所に顔を出されて…アホですか」
「アホって、…アホってお前」
「他に言いようがないでしょう」
「せめてもうちょっとソフトな言い回しもあるだろう」
「ソフトに言い回すのも面倒でしたので」
 心底疲れた口調だ。
「うう、傷つくなあ…」
 いかにも嘘くさい泣き真似をしてみせるジンバ。ちらちらと、こちらをのぞいたりもしている。
 ワイアット様、この人全然懲りてません。
 もはやサロメの心の中にしかいないワイアットは、やはり笑っているだけだった。
 サロメはふうっとひとつ息をついて、
「…で?」
 ジンバが顔を上げると、いやいやながらにこう続けた。
「クリス様はいかがでした?」
 とたんに顔を輝かせるジンバ。
「それがさ、すごいんだよ!まずな、こう、ティントのが平手でクリスの頬を打ったんだ。それで、クリスもこう、やり返してなあ…」
 身振り手振りで喜々とクリスの活躍(?)を語るジンバ。相づちを打つサロメは苦笑しつつも、結局は自分も愉しんでいるのだった。


「さて、そろそろ帰るわ。長居して悪かったな」
「これだけ飲んで食って、何をおっしゃいますか」
「はは。また来る」
「もう来んでください」
「いや、来るから」
「来んでよろしいと言っておるでしょうに」
 笑うサロメのこめかみに血管が幾筋か浮いてきたところで、ジンバはとりあえずあきらめた。
「ここのこと、よろしく頼んだぞ」
「はい」
「クリスのこともな」
「はいはい」
 掛けてあったコートと帽子を身につけ、元通りの探偵スタイルに戻ったジンバ。
「何か事件があったら、ワガハイを呼びたまえ」
「ハイハイ」
「たまにはお前も、こっちに顔を出せよ」
「そうしたいのは山々ですがね。私がカラヤクランに顔を出すと、さすがにあちらがいい顔をしないでしょう」
「だからその髪型はやめろと言っている」
「はいはい。考えておきますよ」
 ジンバはサロメの肩を2度ほど叩いて、部屋から退出した。ドアの所からのぞくと、通りがかる者達がみんな不審そうに振り返るのが面白かった。
 再び部屋に戻り、ジンバの残していった包みをさっそく開いてみる。はたしてそこには先ほど探偵氏が着ていたものと全く同じコートと帽子、ご丁寧にパイプまで。
「覚えていてくださったのか…」
 以前、本当にちょっとだけ、その小説のことを会話の中で触れたことがあった。たぶんそれだけだったのだが。向こうまで行って、新刊ではなく(発売された本がこちらで発売されるようになるまで、半年はかかる)わざわざ衣装を買ってきてくれる辺りが、なんともあの人らしかった。
 さっそくコートを羽織り、一人鏡の前に立ってみる。なかなか似合っているように思って、いろいろとポーズを取ってみたりもする。そうしているうちに、コートの裏地に何かが揺れているのが目にとまる。
 おや、と思い、それを引っ張ってみる。値札だった。
 なんだかとてつもなく嫌な予感がした。
「今日は…やめておこう」
 そっと値札を戻し、再び探偵気分を再開する。
 結局、その日はそのあとも探偵スタイルで執務をこなし、来る者を驚かせつつ、それなりに楽しんだサロメだった。


 その後彼がどうなったかはともかく、探偵氏はなかなかブラス城を訊ねようとはしなかった。


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公式にてサロメとワ…ジンバは面識がないと記載されていますが
このくらいの知己だって良いじゃないと書いてから開き直りました。