ポメラの来た日 3

珈琲はお好きですか?


 駅前の通りの、知っている人だけが通り抜けるような細い路地の先に、小さな珈琲専門店がある。店舗はあまり狭い方ではない。女性の好むような菓子の類がほとんど置かれていないためか、いつ入っても、暇そうな男性客が数人、ダラダラと新聞を読んだり、本を読んでいたり、なぜか写真の整理をしたりしている。

 ザハークはと言えば、ポメラを開きつつ、昨日の晩飯に食べたすき焼きに思いを馳せたりしていた。レルカーの食事のお相伴に預かったわけだが、割り下が足りなくなったので適当に有り合わせでそれっぽい調味料を作ってやったら喜ばれたりだとか、最後にだしを投入し、おじやにしようとしていたオロクとマロニーを投入したニケアがかなり険悪にやりあったことだとかを思い返せば今更ながら、
(なんで自分も一緒にすき焼きを食べてるんだろう?)
 基本的なことがそもそも得心がいかない気がする。そんな彼の疑問も、それ以上に毎回の適当な諍いの理由を前にすると大分ささやかなことに思えるし、そんなことより、昨日の追加の割り下風調味料にもう少し昆布だしを入れた方が案外うまかったかもしれない、とかそんなことが気になるような気もしている。
(もうちょっと調味料があればな…遊びも入れられたんだが…)
 また昨日のような機会に巡り合わせるようなことはなかなかないだろうが、特に急ぐ用事もないので、調味料の配分だとか種類だとか、頭の中だけでああだこうだとぼんやりと勝手な想像をしているうちに、思いの外時間は過ぎていく。
 今日の仕事まで、まだ時間はある。

 新たな客が入店してきた。この店にしては大入りの方だ。入り口のガラス戸が開くと、店の裏手の方にある保育園から子供たちの声がかすかに流れ込んでくる。しかしたちまちに、元の静かな空間にかえる。
 客は豆の買い付けにやってきたようだった。マスターは客と慣れたやりとりをしてから、店の奥に商品を取りに行った。客はふと店内を見渡して、ザハークに気づいた。
 そして、何を思ったのかこちらにやってくると、向かいの席に腰を下ろした。
「こんにちは」
「…こんにちは、オボロさん」
 めずらしく緊張感などを覚えつつ、オボロの出方をうかがっていると。
「ザハーク君はコーヒーが好きなんですか」
 はあ?と、喉元まででかかったが本当に言ってしまったらまるでオロクである。なんとか取り繕うように、あいまいに返事を返す。
「ええ…まあ」
 そうですか、とオボロはひとつ頷く。マスターはまだ戻らない。
「ここの店のコーヒーはザハーク君の口に合いますか」
 …どういう意味なのか。真剣に悩んだが、結局聞かれたままの事柄に返答しておくことにする。
「ええ…まあ」
 まさか、これが自分の人生の最後の会話になるようなことはあるまいなどと勘ぐりながら、付け足す。
「コーヒーの善し悪しは私も詳しくありませんが」
 だいたいは「今日のブレンド」、追加するときはだいたいいつもの2、3種類から。たまにカフェオレを。自分の口に合っているのかどうかくらいの判断基準に照らし合わせてみるに、なんとなく時々訪れてしまっているということは、結果として自分の口に合う店だったのだろう。
(…まあ、オロク君よりは「何でもいい」と言うわけでもないがね)
 なんとなく、そこだけは譲れない気がする。
「そうですか。実は、私はコーヒーのことは良くわかないものでね。お恥ずかしい。うちで助手をしているフヨウさんが、『探偵はコーヒーにこだわるべきだ』と言って頑として譲らないのでね、とりあえず言われたとおりに買いに来ているという具合で。…うちの事務所の場合、フヨウさん以外は万事が万事、こんな調子でして」
「はあ」
 なんとなくだが、彼らがそんな生活を楽しんでいるのだろうと想像はつく。
 マスターが3つほど袋を抱えて戻ってきた。焙煎したての豆の香ばしい匂いと温度が、ふんわりと店内に漂う。
「良い匂いですね」
 口にしてから、この匂いに誘われるように初めてこの店に入店した時の事が、ふと思い出された。
「…味のことはよく分かりませんが、この匂いは好きですね」
 言ってから、対するオボロの表情が特に意味を持って動いたということはなかったが。らしくもないことを言ったものだとザハークは尻の座りの悪いような心地になった。
「ああ」
 間をおいて、何かに納得するようにオボロは頷いた。
「確かにそうですね」
 そう言って立ち上がり、カウンターで商品を受け取ると、オボロはまたこちらを振り返った。
「それでは、ごゆっくり…。たまには、うちの事務所のコーヒーも飲みに来てください。割と好評なんですよ」
 さすがに、よほどの用事がなければオボロの探偵事務所になど行くはずがないではないか。分かっているだろうがあえてそんな声をかけてくるオボロに、ザハークは不思議なほど当たり前のように返事をした。
「そうですね。そのうちに」
 どういうわけか、そんなやりとりをしてみると、本当にコーヒーだけを目的に事務所を訪れるようなことがあっても良いようにも思えた。
 端から見れば、特になんということのないやりとりを交わして、オボロは店を出ていった。彼の細い体は、細くて見通しの悪い路地の先へと、たちまち見えなくなった。
(逆に、あのレルカーのコーヒーを飲んだとしたら、オボロはなんと言うか…)
 ふと思いついた疑問に、結局すぐに自分で答えてから、ザハークはなんだかばからしくなって、そういえばずっと開きっぱなしになっていたポメラの画面を閉じた。煙草を出そうと思ってから、またふわりと漂ってきた香りにそれを押しとどめて、時計を見れば、そろそろいい頃合いのように思えた。
 飲み物に添えられてくるものの、いつも手を付けないメープルクッキーの包みを気まぐれに上着のポケットに入れると、ザハークもようやく席を立ってレジへと向かった。


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 もうほとんどザハーク氏のデッサン帳なんだなあと書いていて思いました。しかも、超・局所的な。そう思ってみると、このゲームにおいて敵方で一番気になる人だったような気がします。行動理由を付けようと思えばいくらでも付けられるというか、逆にまったくわからんというか、実はキリークくらい単純かもしれなかったかも、とか。
 ザハーク氏をデッサンしながら、勝手にこの世界観の中でいろいろと妄想しているわけですが、今回登場した喫茶店の近くにあるという幼稚園の名前は「リンドブルム幼稚園」ということだけは、この文章を書き初めてすぐに妄想したというか。特にでかいほうが子供に泣かれまくりそうな不安ばかりなのは私の気のせいでしょうか。

 もうシリーズってことにしました(^^;)。