ポメラの来た日 4

それは幼稚園

 ボルガンと向き合うことしばし、ロイは沈黙したまま足下をにらみつけている。

(ったく、なんで俺がガキ同士のケンカの後始末につきあわされなきゃなんねーんだ…)
 苦々しい思いで足下の幼児達を見下ろす様は、ロイに良く似ていた。
 …ミューラーは、ここまで来る途中何度も何度もそうしたように、胸中で相棒の顔を思い出してまた毒づく。
(あのやろう、このごろは面倒くさいこと全部俺とリヒャルトの奴におしつけてきやがるんじゃねーか、だいたい。野郎2人でガキの付き添いなんてぞっとしねえとか言って、考えてみればあいつが1人でこのガキについてやれば全然問題ないじゃねえか。クソッ)
 ついついその場ではのらりくらりと言いくるめられてしまう自分が苦々しく、ミューラーは今更ヴィルヘルムに向かって反論を試みる。
(このあいだの「保護者へのおたより」だって、良く考えてみれば結局全部俺が作ったじゃねーか。なんでちょっとコピー機の紙詰まりをなおしたくらいで俺が借りを作ったことになってんだよ、全然計算あわねーよ、ったく…あー、馬鹿か、俺は)
 文句をぶつける相手のいない空しさに、ふと小さく息を吐いて、思い出したように固まったままの少年2人を見比べる。ボルガンは穏やかにロイを眺めている。ミューラーから、ロイはつむじしか見えない。
 と、ロイがついに顔を上げた(ようだ)。
「…ぶって悪かったよ」
 早口にそれだけ、まあいちおう用件は満たしたというところか。
「うん。きにしてないよ」
 ボルガンはにこにこと、ほんとうに気にしていないらしかった。
「そか」
 ロイの気の抜けたようなつぶやきに同調するように、ミューラーもふうっと息をついた。
「まぁ良いだろ。もう面倒くさいからケンカとかすんじゃねえよ」
 相手がリヒャルトあたりなら、ここで頭でもこづいてやるところだが、いかんせん相手が小さすぎるのでそうもいかない。
「ボルガン、てめえ暇だったらコイツ連れてどっかで遊んできてやってくねえかな。家まで連れて帰ってやるのも面倒くさいんだよ」
「はい、いいよ」
 にこにこと、ボルガン。
「…てっめぇ」
 ロイはこちらを振り向くと一生懸命見上げて睨みつけてきたので、ミューラーはようやく顔が見れるようになった。
(ち、なんかほっとした顔しやがって。ガキってのは単純なもんだぜ)
 やっぱりムカついたので、少しかがんでロイの頭をこづいてやった。
「いってぇ」
「じゃーな、あんまり遅い時間まで遊んでんじゃねえぞ」
「はーい」
「わかってるよ!」
 ふたとおりの返事を背中で聞きながら、ミューラーは今更、どうして自分が幼稚園の副園長などやっているのかと気が滅入るのだった。

(あー、だいたいガキってのは、なんでケンカなんぞするのかね。俺なんてケンカのやりかたとか全然思いつかねえよ、マジで)
 リヒャルト相手では一方的にこちらが暴力を振るう形になるし、ヴィルヘルムとはたまになんやかんや毒づいたり茶化されたり…あまり腹が立つとぶんなぐったりもしないわけでもないが、ケンカをするかといわれれば、しない気がする。ほかの相手を何人か思い浮かべても、わざわざケンカをするような者は思い当たらない。
 傭兵時代の仲間などは酒の勢いで殴りあいの喧嘩をやったりもしていたが、あんなのはお互いに気晴らしだと割り切って、じゃれあっているようなものだったし。
(そりゃーこの年でワガママ言って喧嘩沙汰っつうのもしまらねぇし、そんなもんかね)
 こうやって幼児の相手をしていると、ケンカの原因は本当にたわいもないもので、何かの形で相手が自分の思い通りにならなかったとか、そんなことばかりだ。
(俺の周りの連中なんざ、はじめから俺の言うことなんか聞かねえ奴らばっかりだしな。そもそも相手になんか期待しろっつっても、まぁ、無理だよな。そりゃ喧嘩にもならねえってもんだ)
 一人でウンウンと頷いていたミュラーだったが、ふと、なにか引っかかるような感覚を覚えた。
(──あれ?そういや昔、何かあったような…?)
 しかし、それ以上具体的なことはなにも思い出せない。面倒くさくなったので、すぐ他のことをぼんやり考え始めるのだった。



 夜の川は暗く、土手にあつらえられた散歩用の舗装路は街灯などほとんどないに等しい。うっかりすれば足下に人でも転がっていることに気づかずに踏みつけてしまいそうな、そんな暗がりを、家路につく。
 暗闇のなかではだいぶ目立たないようになっているが明るい赤髪をたてがみのようにゆらして、ヴィルヘルムは低く鼻歌を口ずさんでいる。ミューラーは並んで…と表現するには少しだけ離れて、ただただ歩く。鼻歌は、時々わずかに調子を外すことをのぞけば耳に心地良かった。
 ヴィルヘルムが珍しくそんな様子の時は、機嫌の良し悪しではなくて、単に話しかけてほしくないときだということを、それなりに長くなりつつあるつきあいの中で彼なりに察していた。沈黙が特に不快という訳でもない。互いの表情を伺おうにもほとんど見えないような、ただ暗いだけの道のりを、そうやってひたすらに歩く。
 そんな風にあたりまえの距離間で歩いている自分に、ミューラーは今更驚く。
 今、この距離間を壊すようなことをミューラーが試みたとして、一体なにが起きるのだろうかとなんとなく想像してみる。ちょっと不思議な顔をされるだけかもしれない。あからさまに鬱陶しがられるか。何か今まで聞かされることのなかった秘密をうっかり話し始めるかもしれない──とか。
(まあ、そんなことは用もないのに聞き出すもんじゃねえやな)
 そんなことにはならないに違いないのだが。
 ふ、と力を抜くように、ほんの小さくミューラーが息をつくと。
「リヒャルトの奴、もう寝てるかねぇ」
 唐突に、ヴィルヘルムがそんなことをつぶやいた。まさかくだらない考えを見透かしたわけでもあるまいだろう。
「寝てなかったらぶん殴る」
 ミューラーの返事に、おぉーこわい、とわざとらしくつぶやき、肩をすくめてみせた。
「…あいつさ、俺のこと、ポニョに似てる、とかいいやがんの」
「あ?」
 だから何だ。
 しかも、微妙だ。
 どうせ見えないという気安さから、多少頬をゆるませる。
「やらしい笑い方すんなよ」
「………」
 適当に言ってるだけだろうが、こういうときだけ妙に鋭いようなことを言う奴だ。いちいち気にはしないが。
 そういうヴィルヘルムのほうこそ、にやついている気配がする。嫌な予感。
「俺ぁ、あいつのほうが似てると思うけどなぁ。な?」
 …絶対ににやついていやがる。
「それ以上気色悪い人面魚の話すんじゃねえぞ!」
 ヴィルヘルムの言わんとすることを察してミューラーは毒づく。今手元に衣笠バットがあれば殴り倒してやるのに。軽い右手が恨めしい。
 ヴィルヘルムは聞こえなかったという体でまた、さっきまでと同じように鼻歌を始める。ふと気がつけば、ミューラーは元通りの距離間を保っているようだった。
(──ちっ…)
 がりがりと後頭部をかいて、そのままヴィルヘルムの横…、というにはどこか遠慮のある場所を歩く。
 いや、歩きだそうとしたとき、ヴィルヘルムの適当な鼻歌の旋律が鮮明にある単語のイメージを呼び起こさせた。

 がけのうえ、の。

「………てっめえ」


 ミューラーはその時に自分の頭の中で何かが切れるような音が聞こえた気がしたのを最後に、その日の記憶が定かではない、とか…。




 昨日の雨は明け方に上がり、その日は何日かぶりの気持ち良い快晴。空気も澄み、朝らしくちょっとだけ冷気を帯びて、吸い込むと心地良い。
 (オロクたちに言わせれば)珍しく、朝からレルカーを後にしたザハークは、適当にいつもは使わない路地に足を運んでみた。
 密集した住宅からは、朝特有のあわただしい気配とひと段落ついて落ち着きを取り戻した雰囲気とが半々くらい、やや後者の方が多めか。
 こっちのほうに適当に歩けば駅の近くにでるだろうと見当をつけて歩いていると、曲がり角の先からにぎやかな子供の声が聞こえてきた。なんとなく見当がついた気がしてその路地を曲がってみるとやはり、幼稚園があった。
(ああ、こんなところにあったのか)
 ファレナ幼稚園、リンドブルムルームとある。柵の中の敷地を覗きみると、園児たちが一心に歩伏前進の練習に励んでいた。…ちょっと予想外の光景だった。
 しばし呆気にとられていると、保育士らしき男がこちらに気づいてやってきた。何故か目の周りに、どつきあいの喧嘩でもしたかのようなどす黒い痣がべったりと張り付いているが、まさかそんなことはあるまい。いや、まさか。
「兄ちゃん、何見てるんだよ」
「歩伏前進…」
 何と言われても。そう答えるしかない。
 保育士の方もいろいろと気にはなるが。
「ハハッ、ちげえねえ」
 ザハークの回答を気に入ったらしく、保育士は楽しそうに笑った。
「小さいときからああいう動きも練習しておくとよ、いろいろ器用に体を使えるようになるもんなのよ」
「…ふうん」
 それ以上特に関心もなく、ザハークはその場を離れた。

 その日は何日かぶりに快晴だった──



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 なんかもうだめだろ(苦笑)。
 さらに訳の分からないことになってしまって申し訳ありません。あやうくザハークすらだし損ねるところでしたが出たからといって何がどうなったわけでもなし。
 「弱虫ペダル」というマンガを読んでいて、ふと「リンドブルムの人たちはこのマンガと相性が良さそうだな」と思ってみてから急にリンドブルムの人たちが気になり始めてしまいました。
 リヒャルトをどう扱ってよいかわからなくてなかなか難しかったのでひとまずお休みしてもらいました「副長」という肩書きなしのときは、結構ゆるーーーい感じだったらいいなーとか。その程度のデッサン作業でした。はい。