ポメラが来た日 2

雪かき日和


 その年の年末は、珍しく雪が降った。そのタイミングで降らなくてもよいだろうに、というタイミングで。

 年越しを控えた早朝、いつもの路地には慣れない雪かきをする者の姿が早いうちから見かけられた。
 なるべく積もった雪を避けるようにしながらレルカーにたどり着いたザハークは、珍しく朝から力仕事をしているオロクの姿を見つけた。黙々とスコップで道の雪をかいているが、どうにも頼りない。それに、明らかに着込みすぎているのが見るからに笑える。
 どうしたものか(どうからかったものか)と、少し距離を置いた場所からオロクの働きぶりを観察していると、さすがにオロクも彼に気がついた。
「や、おはよう」
 とりあえず、挨拶をしてみる。
「……手伝う気がないなら帰れ」
 彼からまともに挨拶を返されたことがないな、と妙なことに今更気がついた。
「残念だがこのクツではね」
「こういう日くらい、そういうチャラチャラした靴は履くな。転んぶぞ」
「ああ、ちゃんと裏に滑り止めを張ってもらってあるんでね。心配無用だ」
「…じゃあ手伝えるだろ」
「いや、寒いし」
 これだけ着込んでいるのに寒さですっかり鼻の頭が赤くなってしまっているオロクに向かって、ザハークはしれっと言ってみせる。オロクは無言のまま、スコップですくった雪をそのままザハークに向かってバラまいてきた。もちろん、全く届かなかったが。
「あーあー、せっかく綺麗にしたのに」
「とっとと帰れ」
 やれやれ、仕方がない。ザハークが手を差し出すと、はじめからそうしろよ、と憎まれ口をたたきながらオロクがスコップを1本手渡した。
「ほかの連中はどうしているんだ?」
「ベルクートはいないし、ヴォリガも里帰りだとかでいない。ワシールにやらせるのはさすがに危なっかしいからなぁ…」
 オロクのへっぴり感も侮れないものがあるが、とザハークは胸中で勝手に付け加える。しかし、その手つきでここまで雪かきをしたとしたらたいしたものだろう。
 しかしなるほど、考えてみれば故郷のある者は帰ってしまって寂しくなる時期かもしれない。
「…ニケア君は。彼女も出払ってるのかい」
「ああ、あれは昨日はしゃぎすぎて、夜から風邪引いて寝込んでるところだ」
「…なるほど」
 主戦力がゴッソリ抜けてしまった、というところか。オロクにとってはタイミング良く、ザハークにとってはタイミング悪く、そんな時にわざわざやってきてしまったようだ。
「………しかし」
 オロクは手を止めて、しみじみとザハークの雪かきの様子を眺める。
「あんた、うまいなぁ」
「そうか?こんなものだろう」
 さっそく体が温まってきて、少し額が汗ばんできたザハークと対照的に、感心しているのか呆れているのかわかりにくい表情のオロクが相変わらず寒そうにしている。さすがに、ちょっと気になった。
「…君も風邪を引いてるんじゃないのか?」
「俺はもともと寒いのがダメなだけだ」
 それにしたって、毛糸の帽子。イヤーマフ。マフラー。ジャケットの下に厚手のニット。手袋は上からさらに軍手。ズボンの上に酒屋の前掛けのようなものをまいているのだって、おそらくは冷え対策だ。さらに長靴。おそらくは靴下も2重になっていると思われる。
 こうして眺めてみると、さっき、気づかれないうちに写メでも撮っておくんだったと悔やまれてならない。
 ザハークがまじまじとオロクの服装を観察していると、手がおろそかになっていたようだ。
「ほら、あんたのおかげでもう少しで終わるから働け」
「感謝してくれてるらしいのはありがたいが、ちょっと言い方がぞんざいじゃないか」
「口より手を動かしてくれたらもっと感謝すると思うぞ」
「それじゃあ頑張るか」
 そこからさして時間もかからず、通行にさほど不自由しなくてすみそうな程度に雪をどかし終えると、最後は門扉の脇のあたりにかき集めた雪をまとめて積み上げた。もう、このあたりはザハーク1人の作業で、オロクは着膨れたままに丸まって感心しきりに眺めているだけだった。
「正直、助かったな」
「そうかい」
 珍しく率直に感謝をされると、なんとなく照れくさいものだ。
「コーヒーくらいは出してやるよ」
「酒でもいいんだが」
「…あんた、飲んできたんだろ?」
 そういえば、今更ながら彼と酒を飲んだことが無かったな、と、また妙なことに気が付いた。年の瀬だからそんなことばかり気になるのかもしれない。考えてみれば、去年の今頃は彼のことなど知りもしなかった。
 そんな感慨に耽っていると、路地を誰かが歩いてくる、雪を踏みしめる足音に気が付いた。ザハークがやってきたのとは逆の方向から、小柄な少女が慎重な足取りでこちらに向かってやってくるのを見つけた。知っている少女だった。あちらも、こちらに気がついて、一瞬足を止めてから、また歩き始める。
「おはようございます、お嬢様」
 声をかけると、何ともいえない表情になって、それでも丁寧に返事を返してくる。
「…おはようございます」
「おはよう」
 と、ザハークの背中越しに、これはオロク。
(おや)
 つい、チラリとオロクを振り返る。なにが珍しいかと言えば、自主的に挨拶をしてきたということかもしれない。
「おはようございます」
 少女はオロクの服装にちょっと驚いたようだったが、すぐに笑顔で会釈をする。
「足下に気をつけてな」
「はい。行ってきます」
(おやおや)
 我が耳を疑う、とはこういう場合の言葉だ。ただの和やかな朝の風景なのだが、その一端がオロクであることにどうしても違和感ありありなのである。はっきり言えば、どのような対象であれ、オロクが世話を焼くのに憎まれ口でない言葉を使うことは全く考えられない。
「やっぱり、熱があるんだろう」
 ほぼ真剣に心配してしまうザハークだったが、オロクは逆に戸惑ってしまったようだ。
「なんだ、今日は妙に心配性だな」
「妙なのは君だろう。こんな時間から体を動かしてたり、女の子にやさしかったり。おかしいだろ」
「…なんだ、それは」
 オロクは、笑うのをこらえようか本気で怒った方が良いのか定まらない様子で、肩をすくめた。重ね着して丸まった両肩は見た目にあまり変化を生じなかったが。
「俺だって相手が違えばまともに人付き合い位する」
 相手が違えば、と、気持ちよく言い切られてしまった。
「なんだ、…君はああいう子には優しいのか」
 ザハークは苦笑混じりに頭をかく。
「変なことを気にするヤツだな」
 珍しく、本当に珍しく、オロクは声を出して少しだけ吹き出した。
(…笑われてしまった)
「コーヒーしか出さんぞ」
 いつもよりちょっとだけ優しい口調でそれだけ言うと、オロクはさっさと戻ってしまった。
(……ううむ)
 され慣れないことをされると人間は案外困るものだな、とザハークは妙な具合に納得させられてしまいながら、急に寒気でも覚えたように両腕をさすってから、オロクの後に続いてレルカーの中へと入っていった。
 いつも通りのインスタントコーヒーであっても、ここは満足するべきだろうな、と自分に言い聞かせるのを忘れずに。



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オロクさんはたぶんルセリナには普通に親切なんじゃないかと。
それだけであります。
まーなんだかんだ言って結局世話焼きです。

お察しの通り我が家にもポメラがやってきております。良いお年を。