ポメラの来た日 6

 電車から降りると、どんよりしていた雲からついに雨粒が落ち始めてきたようだった。
「あー、やっぱり傘持ってくるんだった…!」
 レルカーまでこのまま歩いて帰る気にもならず、ニケアはとりあえず駅前のファーストフード店に入る。
(誰か通りがからないかなあ…ジーンさんとか…)
 ホットココアを注文し、窓側の席から駅の様子を眺めていることしばし。駅ビルの出口から見知った人物が出てきた。
 ニケア同様、手ぶらだったが。
「あ!オロクさあん!」
 店内にも関わらず大声で相手を呼んで、力一杯手を振り回すと、声が聞こえたかどうかはわからないがニケアの方に気づいたようだ。ちょっとびっくりしたような表情でこちらにやってきた。
「オロクさん、傘は?」
「持ってこなかった。失敗したな」
 オロクは、店に入店するまでの間でちょっと湿った髪の毛の毛先をくるくると弄んで、どうしたものか考えあぐねているらしい様子だ。
「傘、買わないの?」
 ニケアの問いかけにオロクはきょとんとする。
「は?どうして」
「オロクさんが傘買ったら、入れてってもらおうかとおもって」
「お前みたいなでかいのが傘に入ってきたら濡れるだろ」
「えーーー。良い考えだと思ったんだけどなあ」
「知るか」
 心底あきれたような顔をして、オロクはエスプレッソをチビチビとすする。
 そのコーヒー、本当はまずいんじゃないかな、とニケアが勝手に想像したりしていると、オロクが「おや」という表情になった。ニケアもそちらを見る。
「あれ、おにいさんだ」
 駅から出てきたのはザムザで、やはりこちらも手ぶらだった。
(なんで、誰も傘持ち歩いてないかなぁ…)
 果たしてザムザにも声をかけたものか。すぐに関心を失った風の隣の様子をうかがいつつ思案していると、ザムザが急にある方向へと歩きだして、そばに立っていた人物になにやら話しかけた。
(あ!いつものおっきい人だ)
 何度か町中で見かけたことのある、めちゃくちゃ背が高い長髪の男の人と、なにやら言葉を交わしているようだ。意外な組み合わせである。
 隣の袖をつつくと、オロクは面倒くさそうにニケアに視線をよこした。
「ねえねえ、ザムザさん、あの人と知り合いなのかな」
「ん?さあな。…でかいな」
 気のない言葉の最後にしみじみとつぶやくのが、ちょっとおかしかった。
 しかしそれ以上に彼の関心を引くところはなかったらしい。
「オロクさんの知ってる人?」
「知らない」
「あの人、たまに見かけるよね」
「そうか?」
「あー、ねえ、オロクさん。あの人のこと探してたのかな、ザムザさん」
「知らん。本人に聞いてくればいいだろう」
「…もうーー!」
 あんまり気のない返事ばかり返ってくるので、ニケアもさすがに呆れた。
「知らない知らないって、いくらなんでもお兄さんでしょ?普段なかなか会う機会ないからって、もうちょっとコミュニケーションとかないの?他人事みたいにさ!」
「あの男の相手なんていちいちできるか、面倒くさい」
 またまずそうにエスプレッソを一口含み、うんざりした顔で彼の兄へと目線をやる。ザムザと大男はいつの間にかなにやら親しげな様子で、2、3言交わしてから、結局傘を持たないままで別れた。
 別れ際の、ザムザの笑顔――あれだけは間近で見せられたらたまらないだろうな、とニケアも思う――に、オロクは「フン」と鼻を鳴らしてみせて、
「見ろ、あの馬鹿面」
 と、のたまわった。
(むむ)
「なによ、その言い方。自分がかわいげ無いからってさ」
「…よくわからんが、なんでお前にしかられてるんだ、俺は」
 どこか面白がるようなオロクの口調に、二ケアはいよいよかちんときた。
「あたしは、オロクさんとお兄さんのこと、心配してるの!」
「…え?」
 びっくりされてしまったようだ。さすがに意味もなくかみついてしまった、と、ニケアも反省。
「余計なことかもしれないですけど…」
 小さくなって付け足すと、オロクは、さっきの「馬鹿面」発言時と同じような表情。
(あ、変な奴だって思ったな)
 あるいは「本当にばかだなこいつ」とか。情けなくなって、ニケアはため息をついてしまう。
「あのなあ。…心配、って」
 ところが、オロクの口調は、ちょっと笑いさえ含んだような気配で。あれっ、とニケアが顔を上げると、オロクはザムザの背中を目で追っている。
「あいつを相手に変に心配したところで、振り回されるのがオチだ。しかもとどめにあの馬鹿面だ。こっちも馬鹿らしくなってくるよ、まったく」
 何かの思い出を確認するように、そんなことを意外とやさしい口調でつぶやくので、あれあれっという様子でニケアはオロクを見返してしまう。
 やっと、オロクはニケアの表情に気づいて。
 次の瞬間、額を派手に打ちつける音とともにオロクは机に突っ伏してしまった。
(あ、あー…。なんだぁ。ちゃんと心配して、ちゃんと安心してるんだぁ)
 そのくせ、ちゃんと仲良くしようというつもりだけは、無いらしい。まったく、変な人だ。
 ほっとしたら、今度はとたんにニヤニヤしそうになってしまう。ニケアは慌ててほおを引き締める。これ以上傷口を広げてしまうのは絶対にまずい。
「あのー、お先に失礼しますね…」
 まだ死に体の様子のオロクにおそるおそる声をかけて、結局ニケアも傘を刺さずに外に出た。



 店を出たニケアに、ひょい、と横合いから傘が差し出された。
「え?」
「ちょうど私もレルカーに行くところでね。嫌でなければご一緒するよ」
 なにやら高級そうな傘を差しだしてきたのはザハークだった。
「うわー、助かった!」
 さっそくニケアが歩きだそうとしたとき、ザハークは店内をちらりと一瞥。
「ふむ。あまりオロク君をいじめてはいけないよ」
 店内のオロクを見つけたようだ。どこか楽しそうな口調。
「あはは、あれは自爆。私のせいじゃないよ」
「へえ?」
「そうだ、ザハークさん」
 と、ニケアは先ほどザムザと会話をしていた大男を指さす。
「あの人のこと知らない?」
「確か、彼は保育士だよ。ファレナ幼稚園の」
 さして悩む風でもなく、ザハークの返事が返ってきて、ニケアはきょとんとしてしまう。
「…えっ?そうなんだ?」
 本当に知っているとは思わなかった。
 それに、言ってしまっては悪いが、ザハーク以上にそういう職業には向かない外見に見えるし。
(ああ、でも、さっき…なんか楽しそうに話してたし)
 思い出してみると、改めてザムザという人はちょっと不思議な感じがしてきた。単に理解不能なのかもしれないが…。
「うーん、今日はいろいろと、予想外だなぁ」
「それはよかったね」
「ん?」
 それはどういう意味だろう。
「…何となくだが」
 ニケアの視線に、ザハークもどこか困惑したように付け足した。
「うーん、ざっくりまとめると『良かった』ってことになる…のかな?」
 軽く混乱しながら、さっきのザムザの笑顔がふと思い出された。
 ザムザがニコニコしている分にはオロクも安心するようだし。良かったってことにしておくか。
 うん、とニケアは1つ頷く。
「じゃあ、レルカーに帰りますか」
「了解」
 いつのまにか雨はだいぶ小降りになってきたが、レルカーまでは保ちそうだった。


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続く。